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脇本城とは
出羽・脇本城(わきもとじょう)は秋田県男鹿市にある標高110mの山城で、比高は100m、別名を生鼻城、大平城、ヲガノ城と言います。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にも選ばれました。
秋田氏の城館では最大規模ですが、全国屈指と言っても良いでしょう。
安東3城(檜山城・脇本城・湊城)のひとつになります。
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築城時期は不明ですが、戦国時代の1577年(天正5年)安東愛季が大規模な改修を行って本拠地にし、檜山城から移転しました。
10万石を誇ったと言いますので、脇本城の内部に家臣らの屋敷も備えた巨城だった模様です。
安東愛季が1587年に、角館城主・戸沢盛安との戦いのさなか、陣中で病死すると、12歳の秋田実季が家督を継ぎました。
秋田実季は、豊島城主・安東通季の謀反を受けて出羽・湊城を失い、脇本城を捨てて、檜山城に逃れました。
檜山城では5ヶ月籠城する苦戦を強いられましたが、最終的には反撃して勝利しています。
なお、1602年に佐竹氏が久保田城を築城するまでの間に、脇本城は廃城になったようです。
脇本城は詰城と居館を兼ねた山城になっており、城跡の地面には木が少ないので、全体像がわかりやすいです。
城域は、生鼻崎から本明寺の上にある馬乗り場までと、とても広大です。
日本海を望む眺望も、とても素晴らしい城跡です。
ただ、城跡の地形にしては、なだらかです。
江戸時代の1810年に大地震があり、生鼻崎が崩落したそうですので、城跡の地面も、亀裂が入ったり、崩れたりと、地震の影響で狂ってしまったように感じます。
しかし、下記のように本丸には、はっきりとわかる大きな土塁もあります。
脇本城への交通アクセス
交通アクセスですが、秋田県の県道59号にある、生鼻崎第二トンネルの東側が登城口となります。
麓の国道沿いにも駐車場があります。
しかし、道が狭くて急でもよければ、中腹まで入っていけます。
多少、すれ違い困難なところもありますが、舗装路ですし、問題ないでしょう。
下記の写真の地点まで、クルマで上がれます。
私は行っていませんが、続日本100名城のスタンプがある場所は、上秋の無人案内所であるプレハブ小屋に設置されているそうです。
その小屋から、本丸(内館)は徒歩5分となります。
駐車スペースは6台ほどでした。
ただし、先客2台は、城攻め(お城探索)ではなく、昼休憩に来たと言う感じで、2tトラックとバンの普通車が止まっていました。
普通車の方は、エンジンをかけていて、車内でお休みしているようでした。
休憩中、ごめんなさいと言う感じです。
JR脇本駅からですと、徒歩約25分、タクシー1300円前後、登山道入口で、そこから上まで徒歩10分です。
脇本城の見学所要時間は、全部見ると2時間前後かかります。
途中に案内板などは少ないので、小屋でパンフレットをもらってから行きましょう。
とにかく、広いです。
木陰がないので、夏場は日焼け止め必須になります。
中腹の駐車場への入口は、当方のオリジナル日本の城マップでも、わかるようにしておきます。
・出羽・豊島城(豊島館) 畠山重村(豊島重村・豊島休心)と湊合戦
・出羽・久保田城 御隅櫓と表門が復元
・出羽・湊城 戦国時代には湊安東氏の居城
・出羽・豊島城(豊島館) 畠山重村(豊島重村・豊島休心)と湊合戦
・檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
・安東舜季とは
・安東愛季 安東氏を大きく飛躍させた戦国大名
・角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
・戸沢盛安 鬼九郎(夜叉九郎)の異名を得るも25歳の若さで
・秋田実季とは
・東北の城めぐりや観光に便利な地図
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