青森県

陸奥・福島城(青森県・十三湊)の見どころと安藤氏の乱

陸奥・福島城




陸奥・福島城

陸奥・福島城(ふくしまじょう)は、青森県の日本海に面する十三湖の北岸に面する標高約20mの台地上、青森県五所川原市相内にある平城で、国指定史跡になっています。
約62万平方mと広大な範囲が城域となっており、外郭は一辺が約1kmの三角形で、土塁と外堀も残っています。
大変、ややっこしいのですが、福島県庁にあった福島城も、分類上は、陸奥・福島城なので、混同しないよう、注意が必要です。





福島城の史料は少なく最初の築城や築城者は不明ですが、発掘調査の結果、平安時代後期から室町時代前期の遺物も出ています。
そのため、十三湊新城記に記載されている、安倍貞季(安藤貞季)が正和年間(1312年~1317年)に築いた新城が、この陸奥・福島城であると言う見方もできます。
下記は光ってしまっていて見にくいですが、福島城の遺構の案内図です。

福島城の遺構の案内図

安倍堯恒が1092年頃に、陸奥・藤崎城を築いていますが、蝦夷管領に任命されていたその安倍氏(安東氏)が十三湊(とさみなと)に移ったと言える可能性があると言う事です。
なお、2009年の発掘調査では戦国時代の武家屋敷跡も出たことから、確認されていない、安東氏の本拠であった可能性も出てきました。

陸奥・福島城

ただし、鎌倉初期の十三湊は、平泉藤原氏3代・藤原秀衡の弟である藤原秀栄が、十三湊に入って十三藤原氏を称しています。

ちなわち、十三湊は、十三家の領地だったと言う事なのですが、1229年に、安東貞季(あんどう-さだすえ)が十三秀直を萩野台の戦いにて破り、十三湊を手に入れたと考えられます。
そして、福島城を築くと、その孫・安東愛季(あんどう-よしずえ)が、居城を福島城に移し、その子・安東堯勢(あんどう-たかなり)が、福島城を拡張しました。
さらには、その子・安東貞季が、福島城を大規模に拡大したと言う事になります。
もちろん、安東氏は十三湊(じゅうさんみなと)の開発も行い、日本海を使った開運にも力を注ぎました。
なお、安東家は源常館北畠顕家に従っていたと考えられます。

特に安藤氏が1222年に鎌倉幕府から蝦夷管領に任命されて、蝦夷での利権を得ると、蝦夷地(北海道)の海産物や動物の毛皮など、当時の貴重品を十三湊を経由して、日本海沿いの主要の湊へと交易をおこないました。
そのため、往時の奥州平泉に匹敵する程、十三湊は繁栄したと言われています。

十三湊遺跡

福島城からは離れますが、その繁栄を示す遺構として「十三湊遺跡」が、十三湊の街のほうにもあり、国の史跡に指定させています。

十三湊遺跡

この十三湊遺跡が、安東氏の屋敷があった場所ともされており、南北約2km、東西500mの範囲に、安東氏や家臣の館、南側には町屋が整然と配置されていたと考えられています。

安藤氏の乱

1268年、津軽で蝦夷の蜂起が発生しています。
蝦夷と言うのはアイヌ人と推定されていますが、蝦夷代官職の安藤氏が、蝦夷(アイヌ)に討たれたとあります。

また、1318年には、いわゆる津軽大乱が勃発し、以前からは安東氏(安藤氏)の内紛となっていた、蝦夷代官・安東又太郎季長と従兄弟の安東五郎三郎季久(安藤季久)が争いを起こしました。
1320年になると、その内紛に、出羽のエゾ蜂起が加わります。
1325年、執権・北条高時は蝦夷代官職を安東季長から安東季久に変更しましたが、戦乱は続き、1326年3月、鎌倉幕府より、工藤貞祐が鎮圧軍として派遣されています。
その結果、安藤季長(あんどう-すえなが)は捕縛されて鎌倉に連れて行かれました。
しかし、郎党・安東季兼や悪党が引き続き蜂起したため、1327年には鎌倉幕府軍として宇都宮高貞、小田城主・小田治久(小田高知)、南部長継らが派遣され、1328年になってようやく和議が成立しています。
なお、この乱により、安東氏は「下国家」(津軽安東氏)と「上国家」(秋田安東氏)に分裂したとも考えられており、安藤季久(安藤宗季)が、安藤氏宗家として苗字を「下国」にしたと推定されます。

陸奥・福島城

ただし、安東氏はほんと複雑でして、よくわかっていない部分が多いです。

この乱が泥沼化したことで、鎌倉幕府には騒乱を平定する力がないことが分かり、威信を低下させることに繋がりました。

興国の大津波

日之本文書などによると、興国元年(1340年)8月に、十三湖付近の日本海で大地震が発生し、十三湊に大津波が押し寄せたとあります。
高さ約20mもの津波とも記録にあり、被害は家屋1万4862軒に及んだとあります。
春には雪解け水による大洪水も発生するなど、十三湊は浅瀬になってしまい、安東船も故郷に戻れなかったようで、安東氏は大打撃を受けました。

1395年、室町幕府の将軍・足利義満は、津軽十三湊下国の安藤盛季の弟・安東鹿季を、出羽国秋田(上国家)の新領主とし、秋田城介の討伐を行っています。
十三湊の安東盛季のあと、下国氏は安東康季が継いでおり「奥州十三湊日の本将軍・安倍康季」と文献にあり、天皇までが十三湊安藤氏を「日の本将軍」と認めていました。

アクセス

陸奥・福島城への行き方ですが、電車・バスの場合、五所川原駅または津軽鉄道の津軽中里駅から、弘南バス小泊線(金木・中里経由)の小泊行きに乗車。
相内南口バス停で下車して徒歩6分となりますが、バスだとかなり不便です。
クルマ・レンタカーの場合には当方のオリジナルマップの場所が、このページトップにてご紹介した城門があるところとなります。
国道からはダートの砂利道を入っていき、小屋がある付近に車は路駐となりますが、邪魔にならないよう止める必要性があります。

じっくり見学するのであれば下記の国道339号から入ったところにあった、昔の展望台跡の無料駐車場は、長時間止めても大丈夫です。
下記の地図ポイント地点です。

近くには、唐川城跡もありますので、セットでどうぞ。

安東政季までの安東氏盛隆~安藤康季と安藤義季
唐川城と安東盛季の逃避行~十三湖の展望と源義経伝説も
十三湖を望む展望台ベスト3~ 呑龍岳展望台・唐川城跡展望台
大浦城~津軽氏発祥のみなもと大浦光信・大浦盛信・大浦為則
安東愛季 安東氏を大きく飛躍させた戦国大名





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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