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石川城(大仏ヶ鼻城)
津軽・石川城(いしかわじょう)は青森県弘前市の標高97m、比高50mの山城で、別名は大仏ヶ鼻城と言います。
石川城は周辺には、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館と12の館城もあり、この石川城を含めた13の総称として石川城と呼ばれていました。
津軽平野を見渡せる高台にありますが、主郭部の石川館部分以外は現在、りんごの果樹園になっています。
鎌倉時代の1217年、相模・曽我氏の一族、平広忠が地頭代として平賀郡の岩館に入り、曾我氏を称します。
その後、曾我氏は大光寺城の本家と、岩館の分家に分かれました。
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1333年、鎌倉幕府が滅ぶと、執権・北条家の安達高景と名越時如が逃れてきて、大光寺城の曾我道性が匿います。
そのため、岩館城の曾我光高や、田舎郡の成田泰次・工藤貞行らがらから、大光寺城は攻められて、大光寺城から曽我道性らは石川楯(石川城)・持寄城に逃れました。
このとき、曽我道性によって石川城が築城されたと言うよりは、恐らく砦・館だった石川城に逃れて、多少改修したとするのが正しいかも知れません。
さらに足利尊氏の命を受けた陸奧国司・北畠顕家と多田貞綱、南部師行らも、岩館の曾我光高に協力します。
そのため、根城南部氏の攻撃を受け、大光寺曽我氏・曾我道性は滅亡しました。
1443年に、十三湊の安東氏(安藤氏)を蝦夷地に追いやった根城・南部氏が津軽平野に進出しており、石川城にも家臣らが配置されたものと推測します。
戦国時代となり、天文2年(1533年)に、三戸・南部安信は、弟の石川高信を石川城に入れて津軽郡代を任せました。
こうして、石川高信は石川城を居城としました。
石川高信
石川高信(いしかわ たかのぶ)は1495年に南部家・第22代当主である南部政康の次男として、南部氏の本拠地・聖寿寺館(本三戸城)にて生まれました。
田子館を居館とし、田子高信を名乗りましたが、文武に優れた武将だったようです。
弟には南長義、石亀信房、毛馬内秀範がいます。
1553年、父・南部安信は津軽地方を平定し、田子高信(39歳)は石川城に入って石川高信と改名し、津軽を統治した訳です。
第24代・南部晴政からも信頼を受けており、永禄8年(1565年)に石川高信の子・田子信直(南部信直)が、南部晴政の長女と結婚して、南部家の養嗣子となり聖寿寺館に入っています。
1566年より、檜山城主・安東愛季が南部領に侵攻しており、鹿角郡獲得を目指しますが、石川高信(74歳)は1568年に南部晴政、九戸政実とともに撃退しました。
この頃が、南部家の最盛期となります。
しかし、1570年、嫡子が生まれなかった南部晴政は56歳で、嫡男・鶴千代(南部晴継)を設けました。
そのため、養子に入っていた石川高信の子・南部信直(23歳)と、にわかに家督争いが生じます。
その不穏な南部家を突く形で、大浦城の大浦為信(津軽為信)が主家・南部家に謀反を起こし、元亀2年(1571年)5月5日未明に堀越城から出陣すると、石川城を襲いました。
この時、石川高信は妻子共々自害したともされています。(享年77)
そのため、石川城は津軽家の板垣将兼が守備を任されており、以後は大浦氏(津軽氏)の領地となりました。
ただし、石川城は失ったものの、生き残ったとする説もあり、1572年に津軽で起こった反乱を鎮圧したともされ、没年は1581年とする場合もあります。
なお、石川高信の次男・石川政信(いしかわ-まさのぶ)が石川家を継承したとする説もあり、1572年に津軽為信は妹・久を、その石川政信の愛妾に差し出しています。
ただし、その石川政信も討たれたとも、呼び出されて毒殺されたともあります。
石川高信の嫡男で南部家の養子となっていた南部信直(石川信直)は、後ろ盾を失ったためか、1572年に南部家の相続を辞退しています。
※1576年に妻(南部晴政の長女)が死去したので、辞退したともあり、年代は不明。
南部信直(石川信直)は、田子城に入ると、その後、刺客の脅威から逃れるため、南部家重臣の北信愛の剣吉城や、八戸政栄の根城などに身を隠したと言います。
1582年に南部晴政が病没すると、その直後に南部晴政の実子・南部晴継(享年13歳)が病没していますが、当然、暗殺説もあります。
父の葬儀の帰り道で、夜陰に紛れて暗殺されたとの説もあります。
石川城は、弘前城の築城が開始されると、資材などが転用され、廃城になった模様です。
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アクセス
大仏ヶ鼻城は平川に沿って北東へ伸びた丘陵に築かれていて、現在は、大仏公園として整備されています。
弘南鉄道大鰐線の石川駅から500mほどで、歩くと約8分です。
大仏公園の北側に無料駐車場がありますので、当方のオリジナル地図にて場所を明確にしています。
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・石川城と石川高信とは~津軽・大仏ヶ鼻城の歴史
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