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津山城の解説【日本100名城】豪壮で迫力ある石垣が見事な日本三大平山城

津山城

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津山城とは

美作・津山城(つやまじょう)は、岡山県津山市山下にある梯郭式平山城で、日本三大平山城のひとつです。
別名は鶴山城(かくざんじょう)と呼ばれ、現在、国の史跡に指定されており、日本100名城日本の歴史公園100選にも選出されています。

日本三大平山城は、他に姫路城と愛媛の伊予・松山城とされます。

津山城は、南部を流れる吉井川と支流・横野川、そして西を流れる藺田川(いだがわ)の3川を外郭として、その内側に城下町などの主要部を構成しています。


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応仁の乱の前に、嘉吉の乱で室町幕府第6代将軍・足利義教が、赤松満祐によって暗殺されます。
これを、1441年に、山名持豊(山名宗全)が総大将となり、山名教之、山名教清らが赤松氏を討伐した功績により、山名氏は、新たに備前・美作・播磨の守護職を与えられ、再び全盛期を迎えました。

津山城

この時、美作の守護大名として赴任した山名教清が美作・岩屋城に入り、一族の山名忠政に鶴山城を築かせたのが、津山城の始まりとされます。

津山城

しかし、1467年5月、応仁の乱が勃発し、山名教清の子・山名政清が上洛したすきに、播磨の赤松政則が美作・岩屋城を落城させ、赤松政則(置塩城主)が播磨・備前・美作3国の守護となり、鶴山城は廃城となりました。

1600年、関ヶ原の戦いの論功行賞で、小早川秀秋が備前・美作・備中東半にまたがる旧・宇喜多秀家のり岡山55万石に加増・移封されます。

津山城

そして、1602年に小早川秀秋が急死したあと、1603年、森可成の子・森忠政が、信濃・海津城から移って美作国18万6500石となり、津山藩が成立しました。

津山城

森忠政は森可成の6男でしたが、兄・森可隆は1570年の朝倉攻めで討死、森蘭丸・森力丸・森房丸は本能寺の変で、森長可小牧・長久手の戦いで、いずれも討死していたため、森忠政が森家を継いでいました。

津山城

そして、鶴山と呼ばれていた地名ですが、森家の家紋が「鶴」であったため「津山」(つやま)と地名を改めたともされますが、1604年から津山城の大改修が始めます。
13年の歳月をかけて1616年に完成します。

津山城

しかし、ほぼ新築した城でしたので、森忠政は最初の1年間、院庄構城(かまえじょう)に住みました。
最初は居を構えた院庄の地に、平城を築城しようと考え、工事も開始したようですが、家臣の井戸宇右衛門と名古屋九右衛門(名古屋山三郎)の間で刃傷事件が起きた為、鶴山に築城することになったともされています。

津山城

森忠政の側室である岩姫(名古屋山三郎の妹で豊臣秀長の養女)も、数年間、院庄館で暮らし、1604年に次男・森忠広(世嗣)が誕生しています。

津山城

津山城の建物は、77棟と、広島城76棟、姫路城61棟よりも建造物(櫓)が多かったことで知られます。
一国の本城ですので、本当に、かなり立派な構えです。

津山城

吉井川の堤防を工事して津山城の城下町も整備されると、美作(みまさか)の中心が二宮の西にある院庄からとって変わりました。

津山城

ちなみに、森忠政は、最初に築城した山名忠政と「名」が同じだったことから、自分の前世は山名忠政だと認識していたとも言われますが、真偽の程は不明です。

津山城

天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守になっていました。

津山城の天守台

南側に6番門(櫓門)を付属させせている複合式天守で、天守建物の全高は約23メートルでした。
下記のように複雑な入口となっています。

津山城の天守

ただ、天守も最初は5重だったことで、江戸城も同じ5重という事で幕府に睨まれたようで、四段目の屋根瓦を破棄して4重に見せたともされます。

津山城の天守

元禄10年(1697年)、森家に後嗣なく断絶すると、結城秀康を祖とする越前松平家宗家の松平宣富が10万石入って、その子孫にて明治に至りました。

津山城

明治6年の廃城令で、すべて取り壊されましたが、津山城築城400年の記念事業として天守の南東側に備中櫓(びっちゅうやぐら)が復元され、2005年から一般公開されています。

津山城・備中櫓

現在は、鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されており、日本さくら名所100選にも選ばれているサクラは約1000本で、西日本有数の桜の名所にもなっています。
ライトアップされる夜桜も素晴らしいようですよ。
ちなみに、紅葉の時期は10月下旬~11月中旬となります。

津山城・備中櫓

津山城の見学は有料で、大人300円、小人(中学生以下)は無料となっています。
営業時間は4月~9月が、朝8:40~19:00。
10月~3月の冬期は朝8:40~17:00ですが、毎年4月1日~4月15日「さくらまつり期間中」は朝7:30~22:0となります。
定休日は年末年始の12月29日~12月31日です。

下記写真は天守に地下から入っていく部分だと思います。

津山城の天守台

下記は天守台近くの石垣にあった「ハート型」の石垣です。

津山城のハート型石垣

もっと、色々とみどころがあり、たくさん撮影したのですが、スペースの関係であまり写真掲載できていません。

津山城

お近くでなければ、なかなか気軽にと言うわけにはいきませんが、100名城に選ばれるだけ、さすが立派で見どころ満載の津山城でした。

津山城

津山城への行き方

交通アクセスですが、JR津山駅から徒歩15分となります。
駐車場は付近にいくつかあります。
津山城の観光所要時間は、グルッと簡単に回って60分といったところでした。

下記はオマケです。
津山にある中山神社には、津山城の移築門があると言うので撮影して参りました。

津山城の移築門

中山神社がある場所ともども、よければ、当方のオリジナル地図もご活用賜りますと幸いです。

森忠政 兄戦国を生き抜いた末っ子大名
院庄館 美作守護の院庄館跡で後醍醐天皇ゆかりの地
宇喜多直家~岡山の開祖として地域発展させた戦国武将
美作・岩屋城 長期の籠城戦を度々しのいだ堅城
日本のお城オリジナル地図


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コメント

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  • コメント (2)

    • 匿名
    • 2021年 4月 16日

    津山市民です。
    津山城のご紹介ありがとうございます。
    単純な誤植だと思いますが、移築門があるのは、中村ではなく、中山神社ですね。
    念のためにお知らせしておきます。ちなみに、中山神社の
    本殿や鳥居などは、「中山造り」と呼ばれる独特の様式とのことです。

    • 城迷人たかだ
    • 2021年 4月 17日

    ご指摘、誠にありがとうございます。
    入力間違いでして、非常に助かります。
    また、大変失礼を致しました。
    訂正してお詫びを申し上げます。
    情報も、ありがとうございます。

城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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