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小川的場丘城・小川志茂城(三河・小川城)
小川的場丘城(おがわまとばおかじょう)は愛知県安城市小川町志茂にある平城。
現在の本城公園付近に小川的場丘城があったとされ、公園内の東屋に小川城の説明板が貼られている。
最初の築城は不明だが、本多俊正(本多彌八郎)、1538年に三河で生まれた本多正信(本多佐渡守正信)の居城だったと伝わる。
城主として本多宗左右衛門と言う名もあるが本多一族は多く誰に該当するのかは不明。
なお、本多正信の出生地に関して諸説ある。
そもそも本多氏は藤原北家兼通流を称しており、平安時代中期の太政大臣・藤原兼通の子である藤原顕光(藤原道長と従兄弟)の子孫・馬之允助秀が豊後国本多郷に住んで本多氏になったとされるが実際には不詳と言える。
助定のとき足利尊氏に仕え建武3年(1336年)に凶徒鎮圧の功により、尾張国横根・粟飯原の二郷(愛知県大府市横根町付近)を宛行われ、室町幕府の奉行衆となった。
戦国時代の宗家としては本多忠勝(本多平八郎忠勝)の系統とされるが、本多正信も同族となる。
本多忠正、本田正定、本田俊正は松平清康・松平広忠に仕え三河国西条に住んでいた。
國西城(愛知県西尾市室町西城?)だったと言う記述もあるが、河川工事などもありその國西城がどこにあったのかは定かではないようだ。
また、西城とは西条の事を言った可能性(漢字が違うだけ)もあるような気がする。
実際に本田俊正は三河国西条にいた、また西条城に常にいたと言う話もあるようだ。
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本多俊正(本田正信の父)は、三河・上野上村城の酒井忠尚(松平家筆頭家老)にも仕えていた時期があると言うので、酒井氏の家来と言う立場だったか?
1558年、今川義元の命にて徳川家康(松平元康)が初陣して岡崎衆を率い三河・寺部城の鈴木重辰を攻めた際には、酒井忠尚の家来である本多俊正、大須賀康高、榊原長政(榊原康政の父)などが付き従ったと言う。
その頃、本多正信は20歳前後と考えられるため、父に従い一緒に出陣していたことだろう。
岡崎・大樹寺の登誉上人も加勢に駆け付けたと言う。
なお、ややっこしいのは小川志茂城(三河・小川城)は室町時代の武将・石川政康の居城とされるところだ。
本願寺蓮如の誘いに応じて1446年、三河に来た石川政康は小川城を築き石川性になった。
1468(応仁2)年には本願寺蓮如に本宗寺(額田郡土呂の土呂城近く)を寄進し、蓮如の孫・実円が住職として入り、三河における浄土真宗・本願寺門徒最大の拠点となった。
その子の石川康頼は、1493年に三河・小川城の隣に蓮泉寺(れんせんじ)を建立して明了と称す僧侶となり、石川家の菩提寺にしたと言い、境内西に石川政康の墓もあると言う。
その蓮泉寺は、まさに小川的場丘城から近いと言えるため、この小川的場丘城こそが、小川志茂城(三河・小川城)の可能性がある。
実際に小川的場丘城跡とされる本城公園・東屋にある説明版には石川氏のことしか記載されていないようだ。
これは困った。
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的場と言うのも石川政康や家来たちが弓矢の的を置いて稽古したため的場丘城の由来となっているようだ。
ちなみに、本多忠勝の線から確認してみると、本多忠勝が生まれたのは西蔵前城とされ、のち三河・洞城に移った。
本多広孝も土居郷(岡崎市土井町)の三河・土井城。
この本多一族から本多正信との接点は確認できず、本多正信の誕生地と言うのはあくまでも伝承にすぎないようだ。
ただし、一時期だけでも本多氏は小川氏の家来になっていたことがあれば充分に可能性はあるだろう。
本多正信も熱心な一向門徒だったが、小川氏のように一向宗として何か寄進したなどが小川郷では見受けられない。
ただし、初めは「鷹匠」として徳川家康に仕えたともあり、身分が低いくて生活が苦しいので大久保忠世から味噌を借りていたともあるため、禄が少ない家来だとすると小川的場丘城の近くに家を与えられていた可能性は十分にあるだろう。
いずれにせよ本多正信ゆかりの地としては「不明瞭」としか言いようがなく、どうする?家康の状態だ。
と言う事で、石川康頼の三河・小川城は小川的場丘城も含んでいたと推測できる。
水野忠政娘・妙春尼を妻にしていた石川清兼も、三河・小川城だったと考えられる。
となると、石川数正の誕生地(出生地)とも言える可能性はある。
交通アクセス
本城公園への行き方・アクセスだが当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)
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