真下城とは
真下城(ましもじょう)は群馬県藤岡市譲原にある標高316mの山城で比高は150mほど。
別名は下山城、譲原城。
南麓の「譲原堀の内」が平時の居館と考えられる。
最初の築城としては、戦国時代の天文年間(1532年~1554年)に真下吉行(真下伊豆守吉行)が築いたとされる。
真下氏は武蔵七党のひとつになる児玉党の一族。
室町時代から戦国時代にかけては、関東管領の山内上杉氏に仕えていた。
1551年、小田原城の北条氏康が上杉憲政の本拠地である上野・平井城を攻略した際に、当時の真下城主・真下吉清は北条勢に降伏した。
落城したともされ、真下吉清は帰農したとされる。
その後、真下城は北条氏が多少改修したのであろう。
時代をさかのぼると平安時代末期、児玉党の一族に真下基行(ましも もとゆき)がいるが、本拠地は児玉町上真下付近か?
有道資行(入西資行)の4男が真下基行と考えられるため、越生氏館の越生氏などと同族なのだろう。
なお、真下氏と言うと、室町幕府の足利将軍家に古くから「奉行」や「奉公衆」などを歴任してきた家柄で真下元種などがいるが、京の真下氏も一族なのかも知れない。
例えば、細川忠興の側室にも真下元家の娘がいる。
近くの諸松城は、相模の本間氏なのか?本間佐渡守ともあるので、これまた興味深い。
真下城への登城だが、国道462号の鬼石総合グラウンド入口から西に50mほどいったところから北へと登れるようだ。
駐車場だがクルマの場合、鬼石総合グラウンドに止めさせて頂くと登城しやすいようだ。
真下城の場所だが、鬼石総合グラウンドの入口を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
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