埼玉県

毛呂氏館の歴史解説~毛呂季光・毛呂顕季など毛呂氏の本拠地

毛呂氏館

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毛呂氏館とは

毛呂氏館 (もろし-やかた)は、埼玉県入間郡毛呂山町小田谷にある丘城
別名は毛呂山館、毛呂顕季館、毛呂山城。
最初の築城は平安時代末期で毛呂季光とされる。
藤原鎌足の血をひく藤原北家小野宮流で太宰権帥・藤原季仲の子である毛呂季清が毛呂冠者と称し毛呂郷に居住したようだ。

毛呂氏館

1106年、藤原季仲は配流となり、最後は常陸国で亡くなったが、毛呂季清(藤原季清)が毛呂郷に入ったのは京に復帰することは難しかったためだろう。
どうやら丹党の一族と婚姻関係となり、養子となるような感じで毛呂に入った可能性もあるようだ。
となると、毛呂氏館は毛呂季清(藤原季清)の築城であったり、もしかしたらもっと古くからあったとしても良いのではとも感じるが、一般的にはその子にあたる毛呂季光とされる。

毛呂季光

毛呂季光(もろ-すえみつ)は、平安時代末期の武将で父は藤原季清(藤原仲光)。
<注釈> 藤原仲光の娘・加賀局は、藤原忠通の側室となって九条兼実を産んだ模様。

吾妻鏡でも「毛呂冠者」藤原季光(毛呂豊後守藤原季光)は、武蔵国入間郡毛呂郷(埼玉県入間郡毛呂山町)の住人とある。
下記は毛呂氏の供養塔。

毛呂氏の供養塔

1180年、源頼朝鎌倉の大倉御所へ移る儀式にも参加。

1189年、毛呂太郎季光は奥州合戦に参陣。
源氏一門に準じる身分となり、豊後守に補任されるなど篤い信頼を受けている。
また、毛呂郷の地頭職を安堵されている。


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1193年には、源頼朝配流時に召使い(家来?)が毛呂郷付近にて困窮していたところ、源頼朝の家臣の面倒をみて伊豆に送り返しただけでなく、扶持(米)も伊豆に届けてくれたとして、毛呂季綱(毛呂季光の子)は武蔵国の泉(滑川町和泉)と勝田(嵐山町勝田)を与えられたとある。

しかし、毛呂季光・毛呂季綱のあと、毛呂氏の動向は知られていない。
争いを避けて毛呂郷にこもったともされるが、執権北条義時となって勢力を失い没落したと考えてよいだろう。

毛呂顕季

戦国時代のはじめは、毛呂顕季(もろあきすえ)が登場する。
1504年、立河原の戦いにて、毛呂顕季は上杉顕定の軍勢に加わっている。
合戦の戦死者を弔うために、毛呂顕季は48個の念仏の鉦(かね)をつくって各所に奉納したと伝わる。

1520年、北条氏綱が扇谷・上杉朝興から江戸城を奪うと、毛呂顕繁は北条氏に鞍替えした。
そのため、1524年、上杉憲房と上杉朝興は毛呂顕繁の毛呂山城を攻撃しているが、江戸城から北条氏綱が援軍として駆け付けて和議が成立したともある。
毛呂氏は竜谷山城(毛呂要害)にて抵抗したとも。

1546年の河越城の戦い(河越夜戦)のあと、北条氏に臣従した武蔵の武将は多いが、毛呂氏は早い段階から北条家に従ったようだ。
いずれにせよ、小田原城の北条氏は、毛呂~石戸間を手中におさめ、武蔵・松山城河越城のあいだの遮断に成功した。

1525年、毛呂顯季(毛呂土佐守顯季)の時に、毛呂氏館跡に長栄寺が開山している。
越生・龍穏寺の7世・節庵良筠和尚を招いて開山したのが長栄寺。
長栄寺の本堂がある場所が二の丸らしく、その裏山の高いところが本丸で毛呂氏館があったようなので、戦国初期は毛呂山城と呼んで良いのだろう。
寺ができたと言う事は毛呂氏館跡は使われなくなった可能性が高く、もっと強固な竜ヶ谷城(竜谷山城)などに本拠を移した可能性が考えられる。

毛呂氏の供養塔

1533年、毛呂顕季の婦人(毛呂顕繁の母)が妙玄寺を創建。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際には毛呂秋重(毛呂土佐守秋重)が当主で、八王子城の守備を任じられていた。
八王子城の戦いでは、毛呂顕季、毛呂顕綱、毛呂義可、毛呂義忠ら毛呂一族の多くが討死したともある。


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長栄寺の境内には、毛呂顕季館跡の石碑があると言うが撮影を失念した。
長栄寺そのものを1枚も写真に取らなかったと言うことになる。
しかし、埼玉医科大学病院は大きいなぁ。

交通アクセス

毛呂氏館への行き方だが、毛呂駅から約1.1km、徒歩15分といったところ。
毛呂氏館の駐車スペースの場所を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
道路のずっと奥の方にあると言う感じ。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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