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常陸・古渡城のちょこっと解説~甲賀忍者・山岡景友が大名になった霞ケ浦湖畔の城跡

常陸・古渡城

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常陸・古渡城

常陸・古渡城 (ふっと-じょう)は、茨城県稲敷市古渡にある平城

案内板などによると最初の築城は、江戸時代の慶長8年(1603年)で、関ヶ原の戦いの際に徳川家康に味方した甲賀忍者・山岡景友が築いたと言う。
1603年10月3日、常陸・古渡藩1万石の大名にとして入った山岡景友(山岡道阿弥)であったが、約2ヶ月後の12月20日に死去。享年64。
嫡子がまだ幼かったため、取り潰しとなり無嗣改易となった。

常陸・古渡城

その後、関ヶ原の戦いの際に、西軍として浅井畷の戦い前田利長と戦い、改易になっていた丹羽長重 (丹羽長秀の子) が、1603年、常陸・古渡城1万石となって大名に復帰した。

丹羽長重は、大坂の陣にて武功を挙、1617年には江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の御伽衆となって、細川興元、佐久間安政、立花宗茂らと共に側近として仕えた。
そして、1619年、常陸国江戸崎藩(江戸崎城)2万石となり、常陸・古渡城を去り、1622年には陸奥・棚倉藩5万石として加増移封している。

そんな訳で、常陸・古渡藩として古渡城が使われたのは僅か16年前後ほどだったようだ。

常陸・古渡城

常陸・古渡城の立地としては、江戸崎城からの入り江(小野川)が霞ヶ浦に出る交通の要所にあり水運も意識していたものと推測される。

交通アクセス

古渡城付近の道路は狭いが、案内板が設置されている場所に1台程度の駐車スペースあり。

場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

このあとは、神宮寺城に向った。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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