源義清館
源義清館(昭和町)は山梨県中巨摩郡昭和町西条にある平城。
最初の築城としては平安時代後期で、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の子・刑部三郎義清(源義清)が50歳の時に隠居し、晩年を過ごした隠居の館とされる。
源義清の本貫は市河荘で、市川に義清館(市川)・平塩の館があるが、当時の市河荘は市川大門だけでなく昭和町付近までが領地だったと言う。
現在は義清神社(よしきよじんじゃ)となっているが、神社脇には水堀とも言える湧き水?の用水路が巡らされている。
加賀美氏館の様子にも類似しているので、武田の臭いを感じる。
下記写真は、境内に建つ甲斐源氏祖御旧跡の石碑。
おこんこん山
1145年、源義清は市河荘にて死去した。
義清神社の近くには「おこんこん山」と呼ばれる円墳のようなものがあり、伝承では源義清の墳墓と伝わるようだ。
義清神社から歩いて2分くらいのところにある。
おこんこん山にも駐車スペースがあるのだが進入禁止の鎖で閉じられていたのが残念。
まぁ、おこんこん山に用事がないのに、クルマを止めてしまう方もおられるのであろう。
交通アクセス
義清館(昭和町)への行き方・交通アクセスだが、JR国母駅から歩くと平坦路で700m、徒歩10分くらいと近い。
義清神社の右隣に公共ゴミ捨て場があり、広い敷地になっている。
短時間の駐車をさせて頂いた。
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義清神社のある場所などは当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂ける。
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