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須原城の解説【内政を重視し木曽を発展させた木曾義在】

須原城

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須原城とは

須原城(すはらじょう) は長野県木曽郡大桑村須原にある山城で比高は70mほど。
木曽は信濃国と言っても、北の鳥居峠と、南の馬籠峠でふさがれている特殊な地勢である。
旧中山道の須原宿にある定勝寺が、木曽氏17代・木曽義在の館跡(定勝寺館・木曽氏館)とされる。
そのため、背後に須原城は詰め城と言って良いだろう。

毎度おなじみ藤原秀郷流の沼田氏一族となる木曽家村(木曾家7代当主)が、南北朝時代の1331年、足利尊氏から恩賞を得て、木曽谷北部の大吉祖荘に入った。(木祖村・藪原駅付近か?)
その後、木曾家村の甥で養子となった木曾家頼が、須原を本拠としていたので、北から南へと木曽氏は勢力を伸ばしたとみて良いだろう。
ただし、定勝寺じたい、木曽川の氾濫で3回ほど流されたとあるため、須原の低い場所はだいぶ土地も変わってしまったと考えられ、南北朝時代で須原のどこに木曽氏館があったのかは定かではない。
でも、木曽氏の一族や家臣に「須原氏」と称した者が見当たらない。
例えば、上松氏館には木曽義康の2男・上松義豊が入ったが、須原城では須原氏が発生していないため、戦国時代まで木曽氏の本拠とも言える重要拠点(直轄地)であった可能性がある。

1430年、11代・木曽親豊によって禅院・定勝寺が創建された。
そのため、須原の木曽氏館跡としては、定勝寺館だとする説もある。

木曾義在とは

木曾義在(きそ-よしあり)は、戦国時代の1493年に生まれた。
父は木曾義元で、母は松尾小笠原家・小笠原定基の娘。

1504年、飛騨国司・姉小路済継の命を受けた三木重頼の家臣・大熊玄蕃・白谷左馬介らが下呂から白巣峠を越えて木曽の王滝に侵攻。
このとき、父・木曽義元は王滝城にて迎撃したが王滝館の戦いで敗走し、木曽福島城へ戻る途中、三尾付近で追撃を受け負傷し死亡した。
そのため、まだ12歳くらいだった木曽義在は、叔父・黒川義勝(木曽義勝)の後見を受けて当主になったと考えられる。

1509年、叔父の勧めにて飯田・松尾城主である小笠原定基の娘を正室に迎えた。
同じ頃、木曽福島には上之段城を築城し、須原城と福島宿を交互に本拠にしたとされる。

1513年、室町将軍・足利義稙が細川氏などと対立し近江国甲賀郡に逃れると、信濃・森城主(安曇郡)である仁科明盛と将軍を助けて、近江国醒ケ井で観音寺城主・六角高頼と戦っている。
1527年、信濃・林城の小笠原長棟と共に上洛すると、木曾義在は左京大夫となった。

1532年、木曽義在は奈良井宿の専念寺を創建している。
こうして、1533年、妻籠宿から新洗馬(洗馬宿)までの宿駅と道路を整備し、商人の往来や物資輸送を強化したことで木曽谷の経済発展を促した。
木曾材木の販売もしたと言うので、なかなか有能な殿様である。

なお、木曾義在の娘・月光院が、木曽氏の重臣で妻籠城主の山村良利に嫁いでいる。

1542年、子の木曾義康に家督を譲り、黒川口松島にて隠居。
同じ1542年、木曾義康は、村上義清深志城小笠原長時諏訪頼重らと甲斐を攻撃しようとしたが、韮崎の戦い(瀬沢合戦)にて武田晴信勢に大敗。

1548年、武田晴信が塩尻峠の戦いで小笠原長時を敗り信濃に進出。
木曽義康は木曽福島城を本格的な山城へ改修。
1549年、武田勢の甘利信忠らが奈良井宿を越えて鳥居峠の戦いとなったが、この時は撃退している。
しかし、1555年、武田信玄の木曽攻略が本格化すると、木曾義康は鳥居峠の戦いで敗走。
王滝城(崩越城・鞍馬城)も陥落し木曽福島城で抵抗したが、ついに木曾義康は武田家に屈服した。
木曽義康は娘・岩姫を人質として甲府の躑躅ヶ崎館に送り、代わりに武田信玄の3娘・真理姫を、子の木曽義昌の正室としている。
そんな折り、1558年、木曾義在は死去。

このように、武将の話を記載しているのも、郷土史では須原城に関しての記載が無く、太平洋戦争後になって城跡なのでは?と言う事で、須原城跡(愛宕山城)として確認されたためである。
よって、須原城の歴史に関しては伝わっていない。
そのせいか、須原城の遺構は良好な状態で残っているようだ。

須原城

交通アクセス

峠付近から送電線の保守用の道が整備されており須原城へり登城路となっている。
その峠に数台止められると言う情報もあったが、路肩は草地で無理そうだったので、登城は断念している。

須原城の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

信濃・小丸山城(八沢城)の解説~木曽氏11代・木曽親豊が築城
木曽・上之段城の解説~武田に屈した木曽氏17代・木曾義康とは
木曽福島城のちょこっと解説~木曽谷にそびえる詰城
奈良井城のちょこっと解説~戦国武将・奈良井義高の居館
奈良井宿~鳥居峠に繋がる大規模な宿場町の歴史景観
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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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