武田信成館
武田信成館は、山梨県笛吹市八代町北にある平城(館跡)で、別名は赤甲城ともされます。
現在ある清道院が城跡とされます。
また、北を流れる川を水上交通として活用していたとも考えられる立地です。
館の名称になっている武田信成(たけだ のぶなり)は、南北朝時代の武将で甲斐武田氏の第11代当主になりますが、安芸で生まれたと推定されています。
父・武田信武は1336年に安芸守護となって、安芸・銀山城を築城しました。
その後、足利尊氏に味方すると高師直と対立した足利尊氏の弟・足利直義を追討するため、武田信成(武田刑部太夫安芸守信成)は甲斐に入ったと推測されます。
1355年4月、柏尾山に陣を構えると甲斐国の南朝勢力を駆逐しました。
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1359年(1362年?)に父・武田信武が死去すると、武田信成は家督と甲斐守護を継ぎました。
二階堂行藤の娘が産んだ弟・武田氏信は安芸守護になったと考えられ、安芸・武田氏の初代となり、足利直冬派との戦いを続けたようです。
なお、1365年に、武田信成の子・武田信春が大善寺(甲州市勝沼町勝沼)に寄進していることから、父・子で活躍していたと考えられます。
1380年、武田信成は塩山に向嶽庵(向嶽寺)を造営しました。
清道院の境内、入口を入って右手に井戸跡があります。
寺伝によると1398年、武田信成が信州へ出陣していた留守に攻撃を受けたようで、武田信成の夫人が井戸に身を投じて死んだと伝わります。
そして、子の武田信春が母の菩提の為、1440年、館跡に寺を建立し虎渓和尚(虎渓道竜禅師)が開山したと言います。
なお、武田信成が亡くなったのは1394年6月13日ですので、武田信春が第12代となっても、武田信成の妻(清道院殿)はその後も生きていたのでしょう。
そして、武田信春の時、1398年に信州に出陣していた際に襲撃を受けたと言う事が言えます。
1日に何度か水の色が変わった伝わる井戸跡の脇には、武田信成室の墓があります。
また、松泉寺(山梨県甲州市)には武田信成と伝わる五輪塔があるようです。
武田信春の舘は、山梨県甲州市塩山千野ですので、井戸に身を投げた母は、武田信成亡きあとも武田信成館に留まって余生を過ごしていた可能性があるでしょう。
武田信成の次男・栗原武統(栗原七郎)は、甲斐東部の栗原郷(山梨市下栗原)を領しました。
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1413年、乱が発生したため武田信春館が陥落し、萩原山へ逃れて柳沢に砦を築いたともあります。
乱になった甲斐の情勢は不明ですが、萩原山と言うのは大菩薩嶺の別名であり、柳沢は険しい柳沢峠のことを差すようです。
となると、甲斐国の隅っこに追いやられていることから、この当時の武田氏はかなり勢力を弱めていたことが伺えます。
この辺りの武田氏を学びますと、戦国時代になっていかにすごいことをしたのかが、よくわかります。
なお、武田信春の娘が関東管領・上杉禅秀の正室になっています。
そのため、甲斐の反乱は鎌倉公方・足利持氏と上杉禅秀の争いに関係したのかも知れません。
上杉禅秀の乱にて1417年に上杉禅秀が鎌倉にて自刃すると、甲斐・武田氏13代の武田信満は、都留郡十賊山(とくさやま)にて自害し、上杉禅秀の正室になっていた武田信春の娘も「藤渡の川辺」(場所不明)で自刃したと伝わります。
<注釈> 天目山・棲雲寺に武田信満の墓がある。
甲斐の実権は逸見有直が握ったようで、武田信満の弟・武田信長は古河公方・足利成氏に仕え、上総を攻めると1458年頃に庁南城、真里谷城を築き、上総・武田氏(真里谷氏)の祖となりました。
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なお、甲斐国志では武田信成館(赤甲城)を第15代当主・武田信守館としている。
その頃、甲斐守護代・跡部明海と跡部景家が実権を握っていたことから、没落していた武田信守は住むところがなく、武田信成館(赤甲城)にいたのかも知れない。
1455年、武田信守は甲斐守護となってわずか5年で死去し、16代・武田信昌へと繋がりました。
ちなみに、甲斐を統一した立役者である武田信虎が18代で、武田信玄は19代、武田勝頼は20代となります。
交通アクセス
武田信成館(赤甲城)への行き方ですが、JR中央本線・身延線の甲府駅・南口から、山梨交通バス「敷島営業所」行きに乗車して、八代四ツ角バス停下車の徒歩10分になります。
なお、現在ある清道院の入口から入って、境内が駐車場(駐車スペース)として利用できます。
寺は住職も在住していないようで、普段は誰も寄らないような寺となっています。
トイレはありません。
近くには甲斐・小山城もあるのでセットでどうぞ。
駐車場は当方のオリジナル関東地図にてポイントしています。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。
見学所要時間は5分~10分といったところです。
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