安房・稲村城
安房・稲村城(いなむらじょう)は、千葉県館山市稲にある標高64m、比高40mほどの平山城。
安房・岡本城と一緒に「里見氏城跡」として国の史跡に指定されている。
最初の築城は不明だが、安房・里見氏が築城して安房・白浜城から本拠地を移転したことで知られる。
築城したのは里見氏初代の里見義実、もしくは2代の里見成義とも考えられる。
伝承では1486年から里見義実が安房・稲村城の築城を開始して1491年に完成したとされるが、その里見義実はその間の1448年に死去している。
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里見氏2代の里見成義は、父とされる里見義実の没年1448年に生まれたとされるため、なんとも言い難い。
安房・里見氏3代とされるのは里見義通になる。
里見義通
里見義通(さとみ よしみち)は、1481年生まれともされるが、安房里見氏としては史料から確実に実在したことが確認できる武将となる。
父は里見義実または里見成義と考えられる。
母は三浦・横須賀氏の娘とされる。
里見義通は安房・稲村城を本拠として古河公方足利政氏に従い、弟・里見実堯は安房・金谷城に入って、安房・山之城の正木通綱(三浦義同の子)らを臣従させ、里見氏の戦国大名としての勢力を伸ばした。
里見義通の妹が、正木通綱に嫁いでおり、正木時茂・正木時忠を産んだほか、里見義堯の正室になる娘も儲けたようだ。
1518年、病弱だった里見義通は危篤になったようで隠居した模様。
長男・里見義豊が家督を継いで里見氏4代となり、叔父にあたる里見実堯が陣代(後見人)になった。
里見義豊が15歳になるまで、里見実堯が家督を代行すると言う話で、実権は里見実堯が握ったようだ。
そして、里見実堯は里見氏本拠地の安房・稲村城に入り、幼い里見義豊は支城の宮本城、里見実堯の子・里見義堯は引き続き上総・金谷城に残ったと考えられる。
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小弓公方・足利義明に寝返ると1520年には、足利義明の命を受けて、古河公方勢の下総・本佐倉城と、下総・関宿城を攻撃した模様だ。
なお、里見義通の没年は不明だが、少なくとも1525年ごろまでは健在だった模様で、安房・白浜城にて隠居していたようだ。
1526年には、里見水軍を率いて東京湾を横断し、鎌倉(鶴岡八幡宮の戦い)を攻撃も行った。
この時、嫡男・里見義豊と弟・里見実堯も共に出陣している。
しかし、里見実堯は、北条氏綱の侵攻に備えるのを理由にし、里見義豊が15歳を過ぎても実権を握り続けた。
また、安房・山之城の正木通綱を重用するなどしたため、古い家臣らの反発も招く。
こうした状況下で、里見実堯が北条氏と通じているとの風評が流れ、譜代の重臣らは小弓公方・足利義明の了承を得て、1533年7月27日の夜、里見実堯と正木通綱を稲村城に呼びよせると誅殺した。(稲村の変)
稲村の変(天文の内訌)で父を殺害した里見義豊は、すぐさま上総・金谷城の里見義堯を攻撃した。
里見義堯は難を逃れて安房・山之城に逃げ帰ったとされ、重臣の正木時茂・正木時忠の兄弟らも百首城に合流して籠城し、北条氏綱の支援を求めている。
北条氏からは、北条為昌が水軍を率いて、保田・妙本寺近くで里見義豊の軍勢を撃破した。
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翌年1534年、犬掛の戦いになると、里見義豊は滝田城から落ち延びる途中、木の根につまづいて崖から転落し重傷となったので自刃した。(享年21)
<注釈> 生年がもっと早く、享年は40近くだった可能性も出てきており、しっかり家督も継承していたとも考えられる。
これにより、里見氏の嫡流は途絶えて前期里見氏の時代は終わり、里見義堯が里見家の第5代当主となり滝田城に入った。
1535年、上総・久留里城を改修し本拠を移している。(攻略したとも、武田真勝に城を譲らせたともある・)
そして、里見氏の全盛期を築き上げ行くのであった。(後期里見氏)
交通アクセス
安房・稲村城への行き方ですが、JR内房線の九重駅から登城口まで800m徒歩約10分。
館山駅・西口にある館山市観光協会(観光まちづくりセンター)にて、電動アシスト付レンタサイクル(28台)を借りても良いだろう。
駐車場だが執筆時点で、館山市の説明によると、稲村城跡の見学者は、稲交差点から入って稲村城跡案内看板の付近に駐車してくださいとある。
ただ、案内板の箇所は、防火水槽があり車が1台止められる程度の路肩であった。
近くで火災が発生した場合、消火活動の妨げにもなる可能性が考えられたため、クルマを止めるのをためらい見学は断念し、案内板などの撮影に留めさせて頂いた。
トイレはなし。
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登城口は、当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けると幸だ。
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