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相模・笹山城のちょこっと歴史解説~横浜・日限山にある謎の平山城

相模・笹山城

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相模・笹山城とは

相模・笹山城は、神奈川県横浜市港南区日限山にある平山城です。
早駆けの道とも言い、横浜・今井城のほうから南下する「鎌倉古道」の抑えだったようで、戦国時代には玉縄城の支城として機能していたようです。

相模・笹山城

武蔵・笹山城と申しますと埼玉県の小鹿野町にある塩沢城(薄城)も武蔵・笹山城と言いますし、他にも笹山城と言いますと漢字が違いますが丹波・篠山城もありますので、とてもややっこしいです。
と思って精査しましたところ、私の調べが間違っていなければ、日限山付近はギリギリ相模国だった模様です。(よかった)
なお、上永谷町にも笹山砦と言う城跡があるようです。
笹山城と一体だったのか?、どちらかが出丸のような状況だったのか?、現地を訪れてみても山が丸ごと住宅開発されていると言う感じでして、判別がつきませんでした。
憶測の話になってしまいますが、両方とも「笹山」であることから城域が笹山城から笹山砦まで伸びていたと考えてよいでしょう。


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小田原城の北条氏の時代、永谷の領主は宅間伊織綱頼で、250貫文とあります。
ただ、宅間綱頼(宅間伊織綱頼)の居城(屋敷)は、もっと北にある永野小学校付近にあったとも考えられます。
もちろん、詰の城として笹山城や笹山砦を使用していた可能性はありますが。

ちなみに、宅間氏と申しますと、鎌倉時代の上杉重房から始まる名門です。
足利尊氏のもとでは関東管領となり、扇谷・詫間・犬懸・山内の4家に分かれました。
1438年、鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実が対立した永享の乱の際には、上杉憲直が足利持氏に味方して榎下城にて籠城し、のち自害しています。
詫間氏(宅間上杉家)は一番勢力が弱かったのですが、相模・宅間氏は永谷にて残っていたようです。
上杉氏はもともと藤原氏のため、宅間綱頼のことは、宅間伊織之介藤原綱頼とも書き、1543年に永谷天満宮を修復しています。
越後・春日山城上杉謙信は、相模・長尾氏居館発祥の長尾氏でしたが、関東管領・上杉氏を継いだと言う事になります。


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日限山(ひかぎりやま)と言う地名は、近くにある日限地蔵尊(福徳院)が由来との事ですが、江戸時代後期の建立だった模様。

ともあれ、笹山城に関して、これ以上のことは不明です。

現在、笹山城があった笹山は削られて駐車場やマンションがある状況です。
造成工事の際に井戸跡が発見されたと言う話もありますが、具体的な調査報告などは存在しないようです。
遺構などはありませんが、段々になっている駐車場が、かつての城跡を想像させます。


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相模・笹山城を訪問する場合、駐車場(一部コインパーキング)を訪れるような感じになりますが、場所などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

近くには、和田義盛の築城ともされる野庭関城もあるようです。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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