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怒田城のちょこっと解説~平安時代三浦水軍の本拠地か?

怒田城

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怒田城とは

怒田城 (ぬた-じょう)は、神奈川県横須賀市吉井にある日背山城で、標高20m、比高20mとなります。
別名は、奴田城、相模・沼田城、吉井の城山、吉井城山で、平作川を見下ろします。
平作川は、すぐに久里浜に出れるため、三浦水軍の基地(海城)として機能していたことは、間違いないでしょう。
舟倉という地名も残っています。


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最初の築城としては、三浦氏2代の三浦為継(平為道)になり、1086年、後三年の役のあと、清原家衡、清原武衡の郎党が房総に潜伏し、三浦半島に迫ろうとしたため、怒田城を築いたともされます。
その後の怒田城主としては、3代・三浦義次の4男・岡崎義実、4代・三浦義明の嫡男・杉本義宗が、一時的に城主を務めた時期もあったようです。

1180年、衣笠城の戦いの際に、和田義盛は、この相模・沼田城の方が堅固だとして、延慶本平家物語によると、下記のように、三浦義明に進言したとされます。
「怒田城こそ、廻は皆石山にて一方は海なれば、吉者百人計たにも候はば、12万騎寄りたりとも、 くりしかるましき所」
このように、難攻不落の城だったようですが、鎌倉時代の1247年、執権・北時頼時が安達景盛らと、 三浦義村ら三浦一族500名を粛清した宝治合戦にて、三浦氏は滅び、衣笠城などと、廃城になった模様です。


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現在、公園として整備されていますが、これは、弥生時代の遺跡「吉井貝塚」としてです。
なお、三浦の城跡は、ほとんど同じなのですが「駐車場」がなく、有料のコインパーキングも近くにないので、ほんと、不便で、困ってしまいます。
路上駐車して、地元の皆様にご迷惑もかけられませんので、今回も、遠景のみの撮影に留めさせて頂きました。
今でも、難攻不落と言えるでしょう。

交通アクセス

JR横須賀線の久里浜駅から、怒田城の入口まで距離800m、徒歩15分くらいです。
場所などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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