へいほう石
へいほう石 (へいほういし) とは、南会津・下郷にある、大きくて、丸っこい、重さ120kgの石(岩)のことを言います。
展示されている住所は、福島県南会津郡下郷町豊成楢原になります。
江戸時代初期の寛永年間(1624年~1645年、楢原宿に、木こり「玄蕃」(げんば)と言う、怪力の持ち主が住んでいて、御土産で貰った、この大きな石を、お手玉(へいほう)にして遊んだと伝わります。
また、玄蕃は、会津藩主の前で、越後からきた男と相撲を取り、勝利したともあります。
更には、会津藩主の前で、大酒を飲んで見せたともされます。
下記の屋根の下にある、大きな丸っこい石が「へいほう石」です。
1648年に、亡くなったとされますが、玄蕃(げんば)と言う名前や、円福寺に残る戒名「道教禅定門」、墓石にある「一誉道教居士」から、名主以上だった人物とも考えられます。
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と言う事で、もう少し、詳しく、調べてみました。
会津・小平城
かつて、この付近には、陸奥・小平城 (会津・小平城)がありました。
圓福寺の裏手に、小平城(楢原村館)があったようです。
現在は農地のようで、遺構などはないようです。
小平館と呼んだ方が、適切だと存じますが、会津古壘記によると、楢原村館には、星玄蕃なる武将が、戦国時代末期にいたとあります。
星玄蕃は、鴫山城の長沼氏に仕えていた家臣です。
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長沼氏が、伊達政宗と共に米沢城に移り、蒲生氏郷が会津領主として、会津・黒川城に入ると、星玄蕃らは帰農したようです。
連釈頭と言う、行商人の頭(管理者)を務めていたともあります。
そして、楢原郷頭となり、後裔と考えられる「大竹玄蕃」と言う人物が、どうも、へいほう石の伝説の玄蕃のようです。
交通アクセス
会津鉄道「会津線」会津下郷駅から、タクシーで約5分です。
現地に大きな未舗装の駐車場が完備されています。
駐車場の場所などは、当方のオリジナル日本の城跡地図にてポイントしております。
このあとは、鴫山城へ向かいました。
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