相模・田村館
相模・田村館は、神奈川県平塚市田村にある平城(館跡)になります。
この田村郷は、相模川を渡河する重要交通路にあり、田村の渡しから、相模川を渡ったようです。
対岸には、相模国一宮の寒川神社や、梶原景時の相模・一宮館(梶原景時館)があります。
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田村付近は、大山・箱根・富士山を眺望できる景勝地として知られ、歌川国芳も描いています。
江戸時代には、中原街道と大山道の2つの往還の渡し場となっており、旅籠屋などもできて栄えたようで「田村の宿」とも呼ばれていました。
1953年(昭和28年)に、神川橋(かみかわばし)が開通するまで、地元の皆様が、渡し船を運営されていたようです。
相模・田村館としては、鎌倉幕府の有力御家人・三浦義村の田村館(田村山荘・田村ノ館)があったとされます。
三浦義村(三浦平六義村)の本拠は、三浦半島ですが、三浦一族の岡崎義実が、相模・岡崎城を領しています。
また、相模・平塚城も、三浦氏の領地だったとの伝承もあることから、岡崎郷(糟谷荘・糟屋荘)の一部として組み込まれていたのかな?と言う印象も受けます。
1219年、鎌倉幕府の将軍になるため、京から藤原頼経が下向した際に、田村で5日間過ごしたともされます。
また、1228年には、その鎌倉幕府の第4代将軍・藤原頼経や、執権・北條泰時、連署・北条時房など多数が、三浦義村の山荘跡地を、遊興で訪れて3日間滞在したと、新編相模国風土記稿にあるようです。
もっと、古くは、平安時代初期に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、逗留したため「田村」と呼ばれるようになったともあります。
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現在、団地の一角に石碑があるのみで、遺構などは残されていません。
ただ、現地を訪れて、わかったのですが、周囲は、水田などより、若干の微高地となっており、相模川の洪水など、水害も軽減される場所であることがわかりました。
交通アクセス
真芳寺への行き方・アクセスですが、小田急線の本厚木駅・南口から、平塚駅行きのバスに乗車して、田村十字路バス停下車の徒歩3分となります。
駐車場はありません。
真芳寺砦などと、セットでどうぞ。
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