滝堺城とは
滝堺城(たきさかい-じょう)は、静岡県牧之原市(相良町)片浜にある山城で、標高は70m、比高は60mとほどになります。
別名は滝坂城です。
築城は戦国時代で元亀2年(1571年)に、武田信玄の重臣・馬場信春が、牧之原台地の突き出た丘に築きました。
太平洋と丘が、ちょうど。狭まった場所に位置します。
なお、すぐ南側には、勝間田氏が築いた滝堺古城もありますが、手狭だったため、新たに整備した模様です。
武田家が、駿河・田中城から、遠江・小山城を経由して、龍眼山城、滝堺城、遠江・相良城と進み、遠江・高天神城を攻撃するために整備した城郭と言えます。
武田勝頼の代に、高天神城を落とすと、補給路となりました。
滝堺城主としては、駿河先方衆筆頭である庵原山城の朝比奈信置(朝比奈駿河守信置)が150騎など、合計300騎が守備についたとされます。
1575年、長篠の戦いにて、武田勢は大敗し、1581年3月、徳川家康は、高天神城を奪還すると、翌年には、滝堺城も陥落しました。
その後、使われることは無かったようで、廃城になったと考えられます。
朝比奈信置は、その後、持船城なども任されましたが、1582年、織田信忠の甲斐攻めにて、捕縛されると、織田信長の命にて自刃しました。
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滝堺城への交通アクセスですが、JR藤枝駅から静鉄バスの藤枝相良線・相良営業所行きバスに乗車し、片浜バス停にて下車の徒歩15分となります。
滝堺城跡は、茶畑が広がっており、農道もありますが、道が軽自動車サイズです。
クルマは麓に止めて徒歩で登ったほうが、良さそうです。
今回、駐車場が見当たらず、登城は断念しました。
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