横山党館(横山氏館跡)とは
横山党館(横山氏館跡)は、東京都八王子市横山町にある平城(館跡)です。
武蔵七党の最大勢力・筆頭である横山氏の本拠地でした。
ただし、横山党は、鎌倉時代に没落し、八王子の街もアメリカ軍の空襲で焼け野原になったりしているため、横山党の屋敷がどこにあったのかは、定かではありません。
そのため、八幡八雲神社の境内にある「横山神社」の付近に、横山氏の館があったものと推定されています。
古代から横山がある多摩の小高い丘は、馬の飼育に適しており、平安時代に横山荘(舟木田庄)は、陽成天皇の私牧(御料牧場)といってまいした。
その横山荘(よこやま-しょう)の別当(管理者)として、京から派遣されたのが、小野篁(おの の たかむら)の4男・小野保衡(おののやすひら)のようです。
遣隋使となった小野妹子や、小野小町の末柄である小野一族とされます。
実際に小野氏は地方の官僚を務めた人材が多いです。
もちろん、馬を扱う横山党は、馬術にも優れており、武士団として勢力を伸ばして行くようになりました。
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平安時代中期には、小野隆泰(おの の たかやす)が、武蔵国司になっており、924年、横山(八王子)に、八幡八雲神社を建てました。
子の小野義孝(おの の よしたか)は、939年に武蔵権守となると、横山義孝とも称しており、横山党の始祖とされます。
小野義孝の弟・猪俣時資は、埼玉県三里町の猪俣荘に入ると、猪俣館を築いて猪俣党となりました。
鎌倉氏の一族である梶原景清に、横山孝兼の娘が嫁いでおり、鎌倉幕府の御家人となる梶原景時を産んでいます。
1113年3月4日、横山隆兼(山口隆兼)の頃とされますが、横山党の20余人が、相模国愛甲庄を統治していた愛甲内記平大夫を殺害します。
そのため、横山党は朝敵となって、相模・常陸・上野・下総・上総五カ国の国司に討伐命が出されました。
秩父重綱(秩父権守重綱)、三浦為次(三浦平太為次)、鎌倉景政(鎌倉権五郎景政)らが槙山党を攻撃しましたが、横山党は3年間も抵抗を続けたようです。
その後、没落していないため、横山隆兼は源為義の被官でもあったことから、勝利したか、和睦したものと推測されます。
どこで、どう戦って、負けなかったのか?、気になるところですが、合戦場などの伝承はないようです。
なお、結果的に、愛甲氏は横山党に降伏し、横山季隆が愛甲庄に入って愛甲三郎と改名しました。
横山隆兼はさらに相模の海老名・波多野氏に娘を嫁がせたほか、別の娘は秩父平氏・秩父重弘の妻となり、のち有力御家人となった畠山重能・小山田有重を産んでいます。
横山孝兼の末娘は鎌倉氏の一族である梶原景清に嫁いで、梶原景時を産みました。
さらに二人の孫娘は三浦一族の和田義盛と、高座渋谷の渋谷高重の妻となっており、このように周辺の勢力と姻戚関係を結び、槙山党一族は勢力の拡大を図りました。
1156年、保元の乱においては、源義朝の軍勢として、横山党からは、中条新五、中条新六、成田成綱(成田太郎成綱)、箱田次郎、新田次郎、河上三郎、別府行雄、奈良三郎、玉井資重、藍原太郎、海老名季貞(海老名源八季貞)、波多野義通(波多野小次郎義通)が出陣しています。
1192年、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、横山党の横山時広は所領を安堵されています。
しかし、1213年、和田合戦にて和田義盛に味方したため、横山党の多くが討死しました。
そして、横山党は領地没収となり滅び、横山庄の多くは、大江広元に与えられた模様です。
戦国時代には、八王子の武将として、横山秀綱(横山将監秀綱、小野秀綱)が見受けられます。
三河・挙母城の中条常隆(中条出羽守常隆)も横山党が先祖ですが、1558年、松平元康の攻撃を受けて滅亡しています。
あと、横山党の末裔としては、前田利長の重臣・横山長隆が、1583年、賤ヶ岳の戦いにて殿をつとめて討死しています。
その子・横山長知は、奥村永福・篠原一孝と共に前田家の重臣として、代々、加賀藩100万石の家老を務め、3万石で富山城を預かっています。
加古川城主・糟谷武則も横山党の子孫です。
これらを考えますと、横山党も「名門」と言えるでしょう。
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横山党館(八幡八雲神社)への交通アクセス・行き方ですが、JR中央本線・横浜線・八高線の「八王子駅」北口から徒歩15分になります。
駐車場は、八幡八雲神社の鳥居の右わきから入って、4台ほどの参拝者用駐車場が用意されています。
ただ、道路は一方通行ですので、ご注意願います。
駐車場の入口は、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
そうそう、6歳でピアノ、11歳で三味線を習い、小学校の成績はオール5で、生徒会も務め、14歳で作曲家デビューした松任谷由美さんのご実家、100年以上老舗の「荒井呉服店」さんも、近くにあります。
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