武蔵・矢上城(やがみ-じょう)は、神奈川県横浜市港北区日吉にある平山城です。
別名は、中田加賀守館(なかたかがのかみやかた)とも言います。
慶應義塾大学の施設がある日吉台の東の先端部、蝮谷 (まむしだに)の崖上に築かれたわうですが、敷地は慶応大学や慶応高校となって改変されており、正確な城跡は定かではありません。
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戦国時代の武蔵・矢上城主は、小田原城の北条氏に仕えた中田加賀守と伝わります。
ただし、北条所領役帳では江戸城主・太田康資にも北条氏にも仕えているように記載されています。
やがて小机衆に組み込まれたようで、矢上付近で3万石とされ、武蔵・井田城も領しました。
本当に、3万石の武将でしたら、かなりの身分です。
ちなみに、徳川家康が関東に入って、小田原城主に抜擢された大久保忠世で4万5000石です。
なお、北条氏直の書状によると、領内の境界線争いの際に、代官としては興津加賀守・中田加賀守・安藤良整の3名を派遣した記録があります。
そのため、少なくとも、中田加賀守は文官(官僚)的な武将だった模様です。
更には、東京の荻窪にある白山神社の文献にて、中田加賀守は関東管領・上杉顕定の家臣として紹介されているため、中田氏は代々「加賀守」を称したので、同じ名前の武将が、何年も続いたと考えるのが妥当でしょう。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めにて、小田原城が落城した際に、中田加賀守は自刃したようで、矢上城近くの保福寺に葬られました。
また、横浜市保土ケ谷区の旧八王子街道沿いにある正観寺の場所は、中田加賀守屋敷跡とされ、子とされる中田藤左衛門も館主を務めた模様です。
諸説ありますが、小田原城陥落後に、移住したともあります。
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交通アクセス・行き方ですが、東急・東横線「日吉駅」から徒歩18分、距離1.2km、新幹線の高架近くです。
武蔵・矢上城ですが、慶応大学などの敷地になっており、昔は比較的自由に入れたようですが、今では安全上、関係者以外、立入禁止となっていますので、道路から写真撮影させて頂きました。
撮影ポイント地点は、道も狭く、わかりにくいので、当方のオリジナル関東地図もご参照賜りますと幸いです。
近くのコインパーキングも目印してあります。
このあとは、河崎氏館に向かいました。
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