神奈川県

武蔵・井田城 古墳も利用した?川崎の謎の城

井田城

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武蔵・井田城とは

武蔵・井田城(いだ-じょう)は、神奈川県川崎市中原区井田にある平山城で、標高は40m、比高33mほどの丘の上になります。
推定地には神奈川県立中原養護学校があり、北西の「神庭緑地」(かにわ-りょくち)という公園部分に高さ2mほどの土塁があると言います。
これは、蟹ヶ谷古墳群という3基の古墳を活用したもののようです。
鶴見川の支流・矢上川で、武蔵・矢上城と連絡が取れていた可能性もあるでしょう。
そのため、最初の築城者としては、武蔵・矢上城の中田加賀守とされます。


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東京の荻窪にある白山神社の文献にて、中田加賀守は関東管領上杉顕定の家臣として紹介されているため、中田氏は代々「加賀守」を称したので、同じ名前の武将が、何年も続いたと考えるのが妥当でしょう。
戦国時代の中田加賀守は、北条所領役帳によると江戸城主・太田康資と、小田原城の北条氏の両方に仕えているように記載されています。
やがて小机衆の一角となり、所領は3万石ともされ、武蔵・井田城も領しました。
なお、北条氏直の書状によると、領内の境界線争いの際に、代官としては興津加賀守・中田加賀守・安藤良整の3名を派遣した記録があります。
そのため、少なくとも、中田加賀守は文官(官僚)的な武将だった模様です。

井田城

1590年(天正18年)、豊臣秀吉小田原攻めにて、小田原城が落城した際に、中田加賀守は自刃したようで、矢上城近くの保福寺に葬られました。
また、横浜市保土ケ谷区の旧八王子街道沿いにある正観寺の場所は、中田加賀守屋敷跡とされ、中田藤左衛門も館主を務めた模様です。

井田城

あと、城主に関しては沼上氏の可能性もあります。(入れ替わった?のか?など)
小田原衆所領役帳の記載に「井田は沼上(媒)拾貫文」とあります。
新編武蔵国風土記稿によると「沼上は小机城主・右衛門佐氏尭が家人なり」とありますので、北条氏尭の家来に沼上氏がいた模様です。
ただし、近年の発掘調査では、古墳時代のものは出土しても、戦国期に住んでいたことを示すものは出なかったと言う事で、屋敷などは別のところにあった可能性も高いです。
となると、養護学校のあたりに屋敷などの建物があったのかもしれません。

井田城への交通アクセス・行き方ですが、東急・東横線の「元住吉」駅から徒歩30分、距離で2.1km、山の上です。


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井田城の説明板や石碑類はありません。
撮影ポイント地点は、わかりにくいので、当方のオリジナル関東地図もご参照賜りますと幸いです。
このあとは、武蔵・矢上城に向かいました。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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