神奈川県

笹下城 間宮氏が城主を務めた横浜の拠点のひとつ

笹下城




笹下城(ささげ-じょう)は、神奈川県横浜市港南区笹下にある平山城で、別名を笹下本城、佐々木城、間宮豊前守陣屋、篠笥城、間宮氏笹下本城とも言います。
標高は60m、比高は40mほどになります。
最初の築城は不明ですが、戦国時代の1526年に、安房の里見義豊(または里見実堯)の軍勢が相模へ侵攻した際に、鎌倉鶴岡八幡宮が焼失し、玉縄城でも合戦になりました。
これを受けて、防衛強化が行われたようで、玉縄城と、横浜の青木城の連絡中継点として役割を担ったようです。
居館群は下屋敷、内屋敷、総屋敷、かじ屋敷にて構成される谷戸地形でした。
また、昔はもっと、東京湾が近かったと推測されます。





笹下城は、小田原城の北条氏の家臣である間宮信元が城主を務めました。
相模・間宮氏は、佐々木源氏の一族と推定され、古河公方足利成氏の被官でした。
北条早雲が相模へ進出した時には、すぐに従ったようで、1510年には、横浜にある武蔵・権現山城上田政盛に加勢して籠城した、間宮氏もいます。
その後、間宮氏は、相模衆十四家の筆頭となり、間宮信盛と言う武将が、川崎の堀之内城に入っています。
支城としては、杉田陣屋、森陣屋、氷取沢陣屋、中登台の武蔵・松本城などがあるようです。
そして、間宮信元の跡を継いだのは子の間宮康俊で、玉縄衆に組み込まれています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、間宮一族は、山中城の戦いで奮戦しました。
戦後、笹下にいた間宮氏の多くは、徳川家康が家臣に取り立てています。
また、間宮康俊の娘・お久は、徳川家康の側室にもなりました。
その一族からは,間宮海峡を発見した間宮林蔵、オランダ医学で知られる杉田玄白が輩出されています。





現在ある成就院の境内が本丸跡とされますが、周辺は住宅開発などの造成で土地が改変されており、成就院だけが残っていると言う感じです。

交通アクセス・行き方ですが、JR根岸線の洋光台駅から徒歩17分程度になります。
成就院さんの境内駐車場も利用できそうなのですが、坂道がスゴク急坂でして、厳しそうです。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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