浄円寺城(和田石見館)
浄円寺城(じょうえんじ-じょう)は、神奈川県秦野市平沢にある平城(屋敷跡)です。
戦国時代の小田原城主・北条家の家臣である和田石見の館跡とされるのが、秦野市平沢にある浄円寺との事です。
伊勢盛時(北条早雲)又は北条氏綱の時代から仕えた和田兵庫の子である和田石見が、1521年から1527年頃に開基したとされるのが浄円寺(じょうえんじ)となります。
和田家の屋敷(浄円寺城)は、1470年に和田兵庫が築城し、南方400mの位置にあったようですが、その城址の中に浄円寺を創建したと考えられます。
ただし、浄円寺が創建される以前から方形館があったのか?、それとも和田家の居館に浄円寺を開基したのかはまだは良く分かっていません。
また、土塁もあるとの事ですが戦国時代にかけての遺構とも考えられます。
スポンサーリンク
本堂は1800年に再建されたものです、付近には現在でも和田家が存続しています。
本尊は室町時代後期の薬師如来との事です。
下記の地図ポイント地点から境内に入ると参拝者用駐車場があります。
なお、1582年に武田勝頼が自刃したあと、上野・箕輪城に入った滝川一益に従った国衆に、和田石見守なる武将がいます。
この和田石見守は、上州・和田城主なのですが、和田石見守信業(和田信業)となります。
最初は同じ「石見守」ですので、同一人物とも考えたのですが、設定は見つからず、たまたま同じ和田さんで、同じ石見守を称したようです。
スポンサーリンク
しかし、秦野市さんは、浄円寺城と言い、相模・田原城と言い、もうちょっと調査した方が良いのではと感じます。
特に相模・田原城は北条家を支えた重臣の城ですからね。
まだまだ秦野には観光開発の余地があります。
・相模・田原城 大藤政信と秦野の香雲寺
・北条氏綱とは~関東進出の基盤を作った政治力ある小田原城主
・北条氏康と瑞渓院とは~文武両道な猛将も家中や庶民を大切にした戦国大名
・源実朝公御首塚と波多野城~本当の波多野城跡は?
・鴨沢城(鴨沢要害)のちょこっと解説~武和泉守が討死
・訪問しておきたい神奈川県の城郭・寺院・古戦場など一覧リスト
この記事へのコメントはありません。