群馬県

高崎城(和田城) 和田業繁の本拠地で井伊直政が大改修 和田信業も

高崎城




上野・高崎城(たかさき-じょう)は、和田城と呼ばれていた輪郭梯郭複合式平城で、群馬県高崎市高松町にあります。
建てられていた場所は違いますが、トップ写真のように、乾櫓と東門が復元されています。
古くは赤坂庄と呼ばれていましたが高崎城の最初の築城は古く、平安時代の末期とも鎌倉時代とも諸説ありますが、和田義信が移り住むと、鳥川沿いに築城したと言われています。
そして、和田宿と呼ばれるようになったようです。
これは鎌倉時代に侍所別当を務めた和田義盛が、和田の乱で討ち死にしますが、その和田一族の生き残りが、上野・和田氏のようです。





戦国時代の和田城主としては和田業繁(わだ-なりしげ)がおり、関東管領上杉憲政に仕えていました。
のち、上杉謙信に反旗を翻し、1566年には上杉謙信が13000の大軍で和田城を包囲しており、武田援軍の横田康景らの加勢も合わせて僅か900にて、鉄砲を駆使し耐えたようです。
その後、和田業繁は義父でもある箕輪城主・長野業正に従って、武田氏や北条氏康の侵攻も撃退していましたが、長野業正が死去したあとは1562年に武田信玄に臣従しています。
なお、武田家から跡部勝資の子が、和田業繁の娘と結婚して養子となり、和田信業(わだ-のぶなり)と称しています。
武田勝頼の代になって1575年、長篠の戦いにて、武田信実と行動を共にした和田業繁は、逆井忠次の夜襲を受けて重傷を負います。
家臣の福島嘉兵衛、真下下野、栗原内記、松本九郎兵衛、秋山縫殿亮、大澤定吉、長島因幡等などに救出され上野へ帰還しようとしましたが、信州・駒場にて死去したともあります。
その後、和田信業が家督を継ぎました。

高崎城

1582年、織田信長の甲斐攻めにて、武田勝頼が自刃すると、和田信業は最初小田原城主・北条氏直に属したようですが、織田家の滝川一益が箕輪城、続いて厩橋城に入って、上野国の統治者となったため、藤田信吉や倉賀野秀景・真田昌幸らと同じく滝川家に人質を出して従っています。
しかし、本能味の変のあと、滝川一益が神通川の戦いに敗れて尾張に逃げると、和田信業は再び北条氏直の家臣に加わり、谷田部城攻めなどに参じています。
桐生城主になっていた由良国繁と同格に重んじられていたようです。

高崎城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めでは、北条家の要請に応じて小田原城にて籠城に加わっていたため、前田利家上杉景勝らの北国軍に包囲されて、和田業勝・柴田弥次郎らが守備した和田城は落城しました。
その後、和田氏は没落し、各地を放浪したようです。
和田信業の子・和田業勝は、保科正之に仕えたとあります。

高崎城

しばらく、上野・和田城は使われませんでしたが、箕輪城主となっていた井伊直政に対して、1597年、徳川家康は、和田城の大改修を命じます。
中仙道や三国街道を抑える要衝でもあり、重要な防衛拠点と考えたのでしょう。
こうして和田城跡を拡張して大改修し、1587年、井伊直政は建設途中の城に入って「高崎」と地名を替えて、箕輪から街や寺を移して城下町を整備しました。
こうして、三重の堀で囲まれた高崎城は完成しますが、独立式層塔型3重3階の御三階櫓があったそうでして、天守と考えても良いと存じます。

高崎城

1600年、関ヶ原の戦いにて戦功を挙げた井伊直政は近江・佐和山城に移封となり、新たに彦根城を築くことになります。
その後、上野・高崎城には、徳川譜代の大名が入りますが、江戸時代には目まぐるしく高崎藩主も変わっています。
なお、1619年に5万6000石で入った安藤重信は、高崎城の改修も行っており、約77年かけて更に大改修されると近代城郭となりました。

高崎城

1633年には、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命により、弟・徳川忠長が高崎城にて逼塞となっており、翌年、高崎・大信寺にて自刃しています。
徳川忠長が自刃した部屋は、現在、長松寺に移築されているようです。

なお、安芸・高崎城もありますので、ここでは、上野・高崎城として記載しておりますこと、ご確認申し上げます。

高崎城

高崎の徳昌寺は、和田業繁の祖父・和田信輝の開基で、和田氏一族の墓があるそうです。
現在の高崎城跡は、高崎市の中心になっており、市役所や城址公園などがあり、現存する遺構は少ないです。
ただし、春には桜の木々が開花しますので、お勧めのようです。





高崎城への交通アクセス・行き方ですが、JR高崎線・北陸新幹線の高崎駅から徒歩15分となります。
クルマの場合には、付近のコインパーキング利用となります。
夏季はかなり危険な暑さになりますので、熱中症対策を。
高崎城の観光所要時間は、櫓付近だけであれば10分ほどになります。

このあとは、今村城まで移動しました。

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