海老名氏館
海老名氏館(えびなし-やかた)は、神奈川県海老名市にある平城(館跡)です。
海老名市を本拠とする海老名氏は、横山党の一族とされますが、一般的には横山党の横山盛兼の子である横山季兼を、源有兼が養子に迎えたとされます。
その後、海老名氏は、荻野氏・小野氏・本間氏・国府氏などの庶家(分家)が誕生し、そのうち、海老名家季は1104年に播磨国那波に移住し、播州海老名氏の祖となっています。
石橋山の戦いにて、海老名季久は源頼朝と敵対しますが、源頼朝が鎌倉に入ると従い、源平合戦でも活躍し、鎌倉御家人に取り立てられています。
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1333年、北関東より攻めてきた新田義貞勢に敗れると衰退し、1438年、永享の乱では鎌倉公方・足利持氏が宝樹寺に本陣を置いたため、海老名上野介も加わって戦いとなります。
しかし、足利持氏は降伏したため、海老名氏は滅亡し、有鹿神社と総持院は兵火で焼かれ衰退しました。
上記の入口を入ると、下記の海老名氏の霊廟(霊堂)に到着します。
海老名尾張守と弟・海老名上野介は、永享の乱にて敗れた際に捕縛されて、自刃したともあります
なお、一族の海老名広治(海老名兵衛尉広治)が、安房里見家の家臣で娘婿の大島正時とともに海老名郷を回復し、海老名広治の病没後には、大島正時が海老名家を継いで、中新田に大島屋敷を構えたとの伝承があります。
海老名氏の館跡は、有鹿神社のすぐ南である「御屋敷」と言う地区にあったとされ、有鹿神社を氏神としています。
下記の写真が、その海老名氏館跡にある記念碑です。
この有鹿神社(あるかじんじゃ)は相模国では最古級の神社であり、927年の延喜式神名帳にも登場します。
縄文時代から祭祀が行われていた有鹿祭祀遺跡からは、銅鏡、鉄鏡、勾玉などが出土していますが、この有鹿の地は、現在の勝坂遺跡(相模原市)の有鹿谷にある奥宮の場所です。
その有鹿信仰が、農作物の生産拡大と共に、相模川沿いを南下し、現在の有鹿神社が本宮となったようで、664年5月には国家的な祭礼を行った記録があります。
869年には相模一宮の寒川神社と石楯尾神社と共に、相模国の正史に叙位が明記されています。
鎌倉時代に神社界の最高位である「正一位」を朝廷より賜り、当時の有鹿神社は、十二の坊舎を持つなど非常に広大な境内と神領を誇っており、その広さは現在の寒川神社付近まであったとされます。
上記は古い手水舎の跡との事です。
最後に有鹿神社の場所と、その下に、海老名氏霊廟の場所、海老名氏館跡の石碑の地図を載せておきますので、ご参考になさって頂ければ幸いです。
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まず、有鹿神社の場所は下記の地図ポイント地点となります。
24時間は入れますが、社務所は常駐しておらず、また境内の駐車スペースも車が入れないようにポールが立っていますので、駐車場はありません。
相模川の河川敷からも境内に入れますので、駐車するのであれば北にある三川公園に止めて徒歩5分といったところです。
海老名氏霊廟(海老名氏霊堂)の場所は下記の地図ポイント地点となります。
住宅街の中で駐車場はありません。地図は縮尺を変えてご覧ください。
最後に、海老名氏館跡にある海老名氏の記念碑の場所です。
ここも駐車場はありませんので、やはり三川公園の駐車場が便利かと・・。
おまけで、神奈川県立相模三川公園の無料駐車場の地図も載せておきます。
ただし、土日祝は遊具目当てで大変混雑する駐車場で、付近の道路も「ららぽーと海老名」ができて非常に渋滞しますので、電車がお勧めかも知れません。
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