伊豆の戸倉城とは
伊豆の戸倉城(とくらじょう)は、静岡県駿東郡清水町にある本城山で標高75m、麓の狩野川とで比高70mの山城で、現在は本城山公園として整備されています。
戸倉は本来は駿河国になりますが、戦国時代に現地では、狩野川の南に位置するため、伊豆国の一部として認識されていました。
伊豆・戸倉城の築城年は不明とされていますが、文明年間(1469年~1487年)に今川家が城を築いたともされています。
その後、北条氏康が韮山城の支城として修復し、周辺の城砦群である大平城・獅子浜城・伊豆長浜城・泉頭城などと連携させ、1568年~1571年に掛けては、武田信玄との戦いの舞台にもなり、北条氏尭が戸倉城主を務めました。
ただし、北条氏尭は小机城主も兼ねていた為、実際に戸倉城にて指揮を執ったのは、松田憲秀の子・笠原秀範(笠原範貞、笠原新六郎秀範)とされていますが、この笠原秀範は笠原新六郎政晴(笠原政尭)と同一人物と考えています。
スポンサーリンク
駿府、掛川城と追われた今川氏真が北条氏康を頼った際には、この戸倉城に身を寄せました。
しかし、1579年、武田勝頼は沼津・三枚橋城を占拠し、城将として小笠原信嶺、高坂源五郎(春日昌元)、曽根昌長、堀内政豊、春日信達らを交替で配置します。
そのため、伊豆・戸倉城は、武田との最前線となりました。
そして、1581年8月、北条氏直(北條氏直)の命により笠原新六郎政晴(笠原政尭、笠原政晴、笠原新六郎常克)が改修された戸倉城に入っおり、8月末には曽根河内守長忠(曽根七郎兵衛)が守る三枚橋城を攻撃しています。
その後、戸倉城の戦いとなると、1581年10月27日、曽根河内守長忠(曽根七郎兵衛)の調略により、戸倉城の笠原政晴(笠原新六郎政晴)が武田に寝返ります。
北条氏直は、泉頭城の部隊を出撃させますが、穴山信君(穴山梅雪)の援軍もあり戸倉城の奪還はならず、11月に北条氏直自ら出陣します。
しかし、武田勝頼も出てきたため、両者対峙する形で、大きな戦闘にはならず、その後、引き上げました。
スポンサーリンク
三谷幸喜監督の映画「ステキな金縛り」に出て来る、北条家の落ち武者「更科六兵衛」のモデルは、この笠原新六郎だったのではないかと、小生は考えています。
そのため、ここ戸倉城は一度訪れてみたい城でした。
ちなみに、同じ笠原新六郎で笠原政堯(かさはら-まさたか)と言う武将がいますが、この笠原政堯と言う名は俗説であり、北条家の文書では笠原政晴(かさはら-まさはる)と記載されています。
1582年3月、武田が滅亡すると、笠原政晴(笠原新六郎政晴)は手勢300にて戸倉城に籠城しますが北条家(北條家)の説得に応じて降伏します。
しかし、かつて裏切っていたことから許されず、北条家を追放されたともされていますが、父・松田憲秀の取り成しで帰参が許されたともあります。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めでは、戸倉城の兵は韮山城や山中城に入り、戸倉城じたいは放棄されています。
その後、堀秀政らの誘いを受けて父・松田憲秀と共に笠原政晴(笠原新六郎)も、豊臣家に内応しようとしました。
しかし、弟・松田直秀が北条氏直に知らせたため、松田憲秀は監禁され、笠原政晴(笠原新六郎)は殺害されてしまいました。
こうして、映画に登場する幽霊・更科六兵衛も、裏切りと言う濡れ衣をきせられて殺害されたと主張しているのです。
本城山公園(戸倉城)へ登るのには3箇所から入れます。
一カ所は、南側で城主の屋敷があったといれる龍泉寺から登れます。
他には西側にある北駐車場(15台・トイレ)と、北麓の東駐車場(4台)から遊歩道が整備されていますが、どちらも、中腹からは本丸に登る道に合流します。
私の場合には、一番なだらかだと考えた東駐車場から登りました。
しかし、平日の夕方16時30分頃だと言うのに、地元の住民の方でしょうか?、東駐車場(4台)には3台車が止まっており、ギリギリ止められました。
ちなみに、東駐車場から本丸への往復でお会いした方は1名様だけでしたので、駐車場の混雑は不可解だと言う事がわかった次第です。
通常であれば、北駐車場が無難なようです。あとで北駐車場にも行って見ましたら、4台ほどしか止まっていませんでした。
遺構として明確だったのは曲輪くらいでした。
かつては本丸にも土塁が残されていたそうですが、太平洋戦争の際、本丸に高射砲を設置したそうで、改変されてしまったと事です。
サイパンからのB-29は、まず、大きくて目印になる富士山を目指して飛んできて、富士山から東京方面に旋回するのがわかりやすかったので、飛行コース上と言う事だったのでしょうが、高度1万mまで届く高射砲はわずかでした・・。
現在の戸倉城・本丸には水洗トイレと展望台があります。
公園で遊歩道が整備されていますので、トレッキングポールは不要で、見学所要時間は30分といったところです。
下記の地図ポイント地点は、一番大きな駐車場となる西側の「北駐車場」がある場所となります。
時間があれば、泉頭城とセットでどうぞ。
・更科六兵衛~笠原新六郎【ステキな金縛り】清須会議
・三枚橋城とは 沼津の中心部にある沼津城
・泉頭城の解説~柿田川湧水群を湛える三島の城跡を徳川家康の隠居所に?
・春日信達とは 武田滅亡後に上杉につくも真田の調略に応じる
・韮山城 激戦を物語る煙硝曲輪など
・長久保城の歴史~今川家・北条家・武田家が奪い合った最前線
・駿河・葛山城とは 土塁・堀切・曲輪など見事な遺構
・興国寺城~巨大な堀切と高い土塁に囲まれたココから戦国時代が幕を開けた
・伊豆・長浜城と北条水軍の駿河湾海戦~長浜城の訪問記
・森長可~武勇から「鬼武蔵」と称され槍術が得意だった武将
・北条氏直とは~小田原 北条氏第5代当主
・北条氏政【詳細版】~小田原城主・関東覇者への道のり
・北条氏規とは
・仁田館の解説~伊豆にある仁田忠常の館跡
この記事へのコメントはありません。