高知県

加久見城 加久見宗清

加久見城




加久見城(かくみ-じょう)は、高知県土佐清水市加久見にある標高70mの山城で、比高は約70mとなります。
最初の築城は不明ですが、加久見氏によって築かれたとされます。
一説では、鎌倉時代から一条家が所有した幡多荘の荘官が、加久見氏ともされます。
戦国期の加久見氏は、加久見入道、加久見土佐守宗孝、加久見宗勝、加久見宗頼、加久見因幡守、加久見宗清(三崎宗清)と続きました。

応仁の乱を避けて、京から逃れてきた一条教房が、1468年に中村御所を築くと、加久見宗孝ら土佐の国人は受け入れました。
このとき、中村館で侍女を務めたとされる加久見宗孝の娘が、一条教房に気に入られ、町顕郷の養女となって1477年に一条政房を設け、中納言局と呼ばれています。





この一条政房は次男でしたが、兄・一条政房は、1469年に既に死去しており、嫡子となりました。
そのため、一条氏の家臣としても加久見氏(かぐみ-し)の地位は、高かったようで、土佐守も補任されています。

一条房家は、1508年に、土佐・蓮池城の大平元国らによって岡豊城の長宗我部兼序が、土佐・本山城本山茂宗らによって滅ぼされた際に、遺児となった長宗我部国親を保護して再興を助けています。
もっとも、長宗我部元親の代になると介入を受け、土佐・一条氏は逆に攻められて、事実上、権力を失っていますので、皮肉なものです。

これは、1573年、加久見左衛門(かぐみ-さえもん)のとき、大岐城主・大岐正行(大岐左京進正行)、大塚八木右衛門、江口玄蕃、橋本和泉守らと挙兵して、一条家の実権に握っていた羽生道成・為松若狭守・安並和泉守らを襲撃したことが始まりです。
加久見宗清(加久見左衛門宗清)らは、長宗我部元親の力も借りて一条兼定を隠居させ、子の一条内政を擁立しました。
しかし、翌年、長宗我部氏の侵攻を許し、一条内政は土佐・大津城に移され、傀儡となってしまったのです。





こうして、加久見宗清も長宗我部家に従いましたが、土佐・三崎城に入ったようで、三崎左衛門とも称しています。
その後、豊臣秀吉の朝鮮攻めの際に、長宗我部氏に従い、大岐左京之介らとともに死去したともされますが、加久見氏の動向はよくわかっていません。

さて、加久見城は、北側の上城と、南側の下城と分かれており、規模的には迎え撃つ南側の加久見城・下城のほうが大きいようで、曲輪、土塁、堀切、竪堀があるそうです。
屋敷は下城と上城の間の麓にあったようで、加久見氏一族とその家臣の墓であると伝わる加久見五輪塔群も、春日神社の南側にある香佛寺にようです。

今回は時間の関係で登りませんでしたが、土佐・清水は、ジョン萬次郎(ジョン万次郎)の出身地でもあり、とても良い南国の地です。





加久見城への交通アクセス・行き方ですが、当方のオリジナル四国地図もご参考頂けますと幸いです。

このあとは、田野浦城へ向かいました。

中村御所 (土佐・中村館) 一条教房
一条房家とは 土佐一条氏の2代目
土佐・蓮池城 本山氏と長宗我部氏の攻防
一条兼定 お雪供養塔
大岐城 大岐正行(大岐左京進正行)
四国の史跡や観光地巡り用オリジナル地図





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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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