宿毛城(すくも-じょう)は、高知県宿毛市中央2丁目にある標高20mの平山城で、比高は約20mになります。
別名は、土佐・松田城とも言い、
最初の築城は不明ですが、戦国時代には、土佐・一条氏に従っていた松田兵庫の居城で松田城と呼ばれました。
のち宿毛は、依岡伯耆守の領地となっていた際の1575年に、長宗我部氏が攻略し、宿毛右衛門太夫(戸波親清)が入ったようです。
この長宗我部右衛門太夫(戸波親清)は、長宗我部国康の長男で、戸波城主・戸波親武の子となります。
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戸波親清(へわ-ちかきよ)は、新陰流を学び、戸波流を興した剣術の達人でもあります。
1600年、関ヶ原の戦いを経て、高知城に山内一豊が入ると、山内一豊の甥・山内可氏(やまうち-しようじ)が6800石を与えられて、宿毛城は石垣など設けられて改修されたようです。
その後、一国一城令のときに廃城になり、以後は、土居屋敷を改築して、宿毛の統治を続けました。
土居は現在、宿毛保育園になっており、遺構はありません。
現在、宿毛城の本丸跡には石鎚神社があり、松田川側から登城路があるようです。
宿毛城跡への行き方・交通アクセスですが、土佐くろしお鉄道・東宿毛駅から徒歩15分となります。
クルマの場合には、松田川の河川敷を駐車場として利用できますので、当方のオリジナル四国地図にてポイントしておきます。
また、北側の麓には、旅館・宿毛城(民宿)があります。
このあとは、お雪供養塔へ向かいました。
・土佐・戸波城 戸波親武 戸波親清
・中村御所 (土佐・中村館) 一条教房
・一条兼定 お雪供養塔
・土佐・中村城 四万十川の戦い
・田ノ浦城 増田丹後
・四国の史跡や観光地巡り用オリジナル地図
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