五覧田城(ごらんだ-じょう)は、五乱田城とも書きますが、群馬県みどり市東町荻原にある連郭式山城で、標高593m、比高300mと、関東では屈指の山城と言えます。
最初の築城や城主などは不詳ですが、松嶋氏の支配地域だった模様です。
戦国時代の1574年に、上杉謙信が関東に入り、上野・深沢城を陥落させると、五覧田砦も攻略しました。
この五覧田砦が五覧田城と推定されせ、上杉勢は五覧田城は重要視せず放棄しています。
そのあと、由良国繁が五覧田根小屋にて抵抗した上杉勢沼田衆300名を討ち取っています。
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その後、小田原城の北条氏直が上野へ進出しますが、1579年、上野・深沢城(神梅城)と、五覧田城の領地は、上野・金山城主の由良国繁が支配しました。
1584年になって、由良国繁と北条氏直が対立すると、北条氏直は阿久沢道伴や前原氏・目黒氏に命じて、五覧田城を攻撃させました。
そして、陥落した五覧田城の普請を、阿久沢道伴(阿久沢能登守彦三郎)に命じています。
山頂には尾根筋に沿って14箇所の郭があると言いますので、規模はかなりと思われますが、重要拠点とは言いにくい立地です。
ただし、上杉勢が三国峠から関東に入った場合に、前橋城が北条家などに抑えられていた場合、沼田城から赤城山の東麓を周って、五覧田城から南下すると言ううえで、上杉家にとっては重要だった模様です。
五覧田城への交通アクセス・行き方ですが、わたらせ渓谷鐵道の花輪駅から徒歩ですが軽登山となり、所要時間片道90分くらいとなります。
三の丸跡が五覧田城址公園として整備されているようで、約1.2kmの林道の奥に駐車スペースがありますが、道路は荒れていて、四輪駆動かオフロードバイクでないと厳しいようです。
車高が普通のクルマは走行困難です。
熊出没注意と言う事もあり、遠景撮影に留めました。
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