久留米城とは
久留米城(くるめじょう)は福岡県久留米市篠山町にあり、別名を笹原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城とも言う、筑後川沿いの連郭式平山城です。
なお、現地では「篠山城」と呼ぶ場合が多いようです。
最初の築城者は現地の土豪と考えられますが名前は不明です。
しかし、篠原城と言う名称で室町時代の後期に見受けられます。
ただし、規模的には砦程度だったようです。
1587年に豊臣秀吉が九州攻めしたあと、大友宗麟の娘婿・毛利秀包が7万5000石となって久留米城に入りました。
この時、堀を掘削し石垣を積んで、天守を建造するなど、久留米城主として大改修したようです。
朝鮮攻めの功績により合計13万石となった毛利秀包(毛利筑後守秀包)がですが、1600年の関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成に協力した為、改易され所領没収となりました。
その後、筑後32万5000石で柳川城主となった田中吉政の支城として、久留米城には2男の田中吉信が入っています。
田中氏が改易されたあとには、柳川城に立花宗茂が10万石で復帰し、久留米城には知山城主・有馬豊氏が21万石で封じられ、幕末まで続きます。
有馬豊氏は黒田長政の指導を受けて、1631年に筑前堀の工事を行い、1649年からは外郭部を設けて城下町を整備しました。
久留米城の井戸の中にも石が配置されています。
最終的には1691年になって城郭が完成したと言います。
大雨の中で撮影したため、写真には雨粒も入っていますこと、謹んでお詫び申しあげます。
本丸に天守はなく、二重の多聞櫓で連結された三重櫓が各隅に7棟配置されていたようで、本丸の中心部には本丸御殿がありました。
現在、本丸御殿跡には篠山神社があります。
久留米城の見学所要時間ですが、私の場合で約30分でした。
本丸の標高は20m、比高は15mです。
築城には年月を掛けただけあって、かなり丁寧に作り込んであると言う印象を受けます。
交通アクセス
久留米城の駐車場ですが、下記の地図ポイント地点に10台ほどの無料駐車場がありました。
柳川城からはクルマで50分ほどの距離となります。
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