長崎県

神代城(鶴亀城) 鍋島陣屋 鍋島信房 神代貴茂も

鍋島陣屋

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鍋島陣屋跡(なべしまじんや)は、1608年に鍋島信房が築いた陣屋で、長崎県雲仙市国見町にあります。
この鍋島信房(なべしま-のぶふさ)は、鍋島清房の嫡男として1529年に生まれました。
母は正室・華渓で龍造寺家純の娘です。
このように、父・鍋島清房は早くから龍造寺家に仕えた重臣で、1548年に龍造寺隆信が本家を継ぐことになった際には、後見役にもなっています。
その嫡男であった鍋島信房は、龍造寺隆信が有馬家から奪った、常広城(佐賀県鹿島市)を任され、1576年に修築したようです。


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なお、鍋島信房の弟には有名な鍋島直茂がいます。
龍造寺隆信が沖田畷の戦いに向かう際には、ここ神代城(鶴亀城)を一時、本陣としています。

神代城(鶴亀城)

その合戦で龍造寺隆信は討死し、継承した龍造寺政家に鍋島氏は引き続き仕えました。
しかし、弟・鍋島直茂は有能な武将であったため、豊臣秀吉が九州を平定した際に、龍造寺家に代わり国政を担うよう命じられます。

更に関ヶ原の戦いでは鍋島直茂は黒田官兵衛らと共に、九州の西軍諸将を攻略した功績もあり、佐賀35万7000石は安堵となります、

これにより、兄・鍋島信房が治めていた鹿島は、そのまま佐賀藩の支藩として2万石鹿島藩が成立しました。

その後、1608年、弟である鍋島直茂の次男・鍋島忠茂に常広城を譲り、鍋島信房は肥前・高来郡神代(長崎市雲仙市)に移ります。
※鍋島忠茂は鹿島鍋島家となり合計25000石。

この神代鍋島家は肥前神代領6263石を知行し、鶴亀城跡の麓に「鍋島陣屋」を建造した訳です。
その翌年、1609年に鍋島信房は死去します。享年81。

鍋島陣屋

その後、子の鍋島茂治が飛び地である神代領を継ぎ、代々、佐賀藩の家老を務めました。

鍋島陣屋跡を中心とした神代小路地区は、4代・鍋島嵩就のときに神代小路と呼ばれる武家屋敷地が整備されました。

神代の武家屋敷

現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

神代の武家屋敷

江戸初期に花開いた城下町の風情が、大変色濃く残っており、まるで昔に時間が止まったままのような、美しい街並みが残っています。

神代の武家屋敷

1865年に建てられた陣屋の長屋門と、長さ30mある立派な蒲鉾型の石塀は見事です。

鍋島陣屋の長屋門

枯山水様式の庭園は鶴亀城(神代城)の二の丸まで続いており、庭園が学できます。

鍋島陣屋

下記は高台から望む鍋島陣屋付近です。

鍋島陣屋

もう1枚どうぞ。

鍋島陣屋

この高台は、神代城の曲輪だったようです。

神代城の曲輪

肥前・神代城

神代城(おじろじょう)は、標高16m、比高15mの「海城」でした。
別名は鶴亀城です

戦国時代には神代貴茂(神代兵部大輔貴茂)の居城となっており、最初は日野江城主・有馬家に仕えていたようです。
しかし、龍造寺隆信の勢力が南下してくると、龍造寺家に臣従し、1577年には龍造寺隆信を神代城にて饗応しています。

神代城(鶴亀城)

沖田畷合戦で龍造寺隆信が討死したあと、近隣の豪族は続々と有馬晴信に寝返りましたが、神代貴茂はただひとり神代城にて有馬勢を迎え撃ち、城を守り抜きました。

神代城を落とせなかった有馬晴信は、和睦すると見せかけて、神代貴茂を肥前・多比良城に招きます。
そして、その帰り道の国見町犬馬場にて、神代貴茂(神代兵部大輔貴茂)を謀殺しました。
その直後、鶴亀城などは陥落し、1584年、鎌倉時代より続いたとされる神代家は滅亡しました。

神代城の本丸と二の丸の間にあった大堀切は、現在道路になっています。

神代城の堀切

その堀切の所に二の丸虎口があり、神代城(鶴亀城)の二の丸に上がれます。

神代城(鶴亀城)の入口

二の丸の方が海側にあり結構広いです。
現在、民有地なようで畑になっていますので、その入口だけで失礼させて頂きました。

神代城(鶴亀城)の本丸

あと、神代城(鶴亀城)の本丸へは同じ堀切の所から神代神社への参道で登れます。

神代城(鶴亀城)の本丸への入口

下記のように本丸は神代神社になっていました。
1843年の創建とされる神代神社は、神代邑主鍋島信房と菅原道真が祀られています。

神代城(鶴亀城)の本丸

同じ境内には道政院稲荷神社もあります。

道政院稲荷神社

江戸時代の1747年創建である道政院稲荷神社は、神代鍋島家の8代・鍋島茂興が、桃園天皇即位式に参列した際に、京都の伏見稲荷から分霊を勧請したものとなります。

それにしても、この神代(こうじろ)の街では、道を「カニ」さんが歩いています。
道路もカニさんが普通に歩いています。
海城へも何回も訪問させて頂いておりますが、カニさんに出くわした城は初めてです。
神代城でも藪の中をカニが移動していますので、草がカサカサとあちこちで揺れて、ちょっとした恐怖感も味わえました。
道路にてカニを撮影しようと近づくと、石垣のすき間などに隠れてしまい、なかなか撮影できなかったのですが、逃げ場が無かったカニさん1枚だけ撮影成功しました。

神代のカニさん

しかし、アスファルトの道路を見ると、あちこちで「カニせんべえ」のようにペチャンコになった★カニさんも・・。
戦国時代の神代城はもっと海に近かったと思いますので、城兵はカニに囲まれた生活をしていたのかも知れません。


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さて、鍋島陣屋への行き方・アクセスですが、雲仙市歴史資料館国見展示館と鍋島邸との間に無料駐車場があります。
トイレがある新しい立派な建物もありました。
下記の地図ポイント地点です。

神代城も見学する場合には、上記の駐車場から徒歩が良いです。

幕末には勝海舟坂本龍馬も鍋島陣屋で休息をとったという歴史ある街並がある島原半島の神代でした。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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