新潟県

徳合城(得合館) 日本海側の山里にある広大な防衛線

徳合城(得合館)

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徳合城(とくあいじょう) は、新潟県糸魚川市徳合にある山城で、比高は140mもあります。
標高316mのトヤ峰を中心に曲輪がいくつもあり、東方の大峰砦は詰城、薬師山が本丸、日本海側の筒石城(城ヶ峰)は支城とした広く守備する城郭郡になっています。
恐らくは、春日山城防衛において、西から攻め込まれた場合の、最終防衛線であることから、上杉氏が戦国時代に大改修したのでしょう。
最初の築城としてはもっと古く、鎌倉時代末期~南北朝時代の頃には、西浜頸城郡園田保(そのだのほ)の地頭である村山氏が麓の集落にある徳合館主だったようです。
なお、地域の雰囲気としては、隠れ里のようでして、行くのがちょっと大変なところになります。

徳合城(得合館)

戦国時代の1540年頃?まで、16代・村山直義が徳合城主として見受けられます。
しかし、17代・村上義信は、海岸線を監視する、日本海に近い標高260mの筒石城(城ケ峰城)に移っているため、上杉氏に降伏して、徳合城を明け渡したものと推測されます。

徳合城(得合館)

その後、武田信玄に敗れて上杉謙信を頼った村上義清は、糸魚川の越後・根知城を与えられますが、その子・村上国清(山浦景国)は、徳合城主になったとも伝わります。
ただし、1598年、上杉景勝が会津に移封となると、村上国清も徳合城を後にしたとあります。
このように、村上国清(山浦景国)は、徳合城にいた可能性はありますが、1582年に海津城主、その後、追い出されて根知城に入ったあと、1592年に死去したとされています。

徳合城

越後・徳合城ですが、麓には「たての屋敷」と言う泥田堀で囲まれた得合館跡に、菩提寺の宝昌寺などがあります。
また、村上安芸守国清の墓が、その宝昌寺にあるのですが、折からの爆弾低気圧で足元が非常に悪いため、断念しました。

徳合城(得合館)

徳合城(得合館)への交通アクセス・行き方ですが、電車・バスの場合は、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの筒石駅から約4.5km、徒歩50分といったところです。
ちなみに、筒石駅は、トンネルの中にある地底駅として有名でして、ホームから改札口は、高低差40m、約300段の階段があり、エレベーターなどはありません。
自動車の場合、日本海の国道8号から入って行きますが、クルマでも結構な坂を上がっていき、道路の幅も1.5車線で、静かな山村でした。
徳合城(得合館)の案内板がある場所に、4台分くらいの駐車スペースがあります。
ただし、バス停もありますので、バスなどの停車に迷惑が無いところに、止めて頂きたいと存じます。

徳合城(得合館)

なお、近くに、筒石・徳合ジオサイトと言う約300万年前の断層が見どころとなっています。


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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