加賀・和田山城(わだやま-じょう)は、石川県能美市和田町にある丘城で、標高は36m、比高25mになります。
史跡公園として整備されており、国指定史跡になっている和田山・末寺山古墳群の中にある形の城跡です。
和田山城は、近江・和田山城、長門・和田山城もありますので、混同しないよう注意が必要となります。
最初の築城は不詳ですが、戦国時代の1506年に、加賀一向一揆の和田坊超勝寺が整備した模様です。
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織田家の軍勢が、加賀の一向一揆を討伐する過程で、加賀・和田山城は落城し、その後、北ノ庄城に入っていた柴田勝家の家臣・安井家清が、和田山城に入りました。
安井家清(安井左近)は、1581年には、三堂山城の城主になったともされますが、2万石で東郷城主ともあります。
ただし、佐久間盛政の家老であったともされ、柴田家の重臣のまま佐久間氏に仕えたのか?など、詳細がわかりません。
恐らくは、織田信長の命にて、柴田勝家の重臣だった安井家清は、一向一揆に対抗して北上した佐久間盛政の与力として助ける形になったのではと存じます。
なお、安井家清(安井左近)は賤ヶ岳の戦いにて、柴田勢として出陣したようですが、討死したと言う事です。
加賀・和田山城は、和田山・末寺山史跡公園として整備されており、9号古墳が櫓台になっているなど、古墳を活用した城跡で、空堀なども残っているようです。
今回、加賀・和田山城は、登城しようと思いまして、意気込んで向かったのですが、麓の能美市歴史民俗資料館が工事?しているようで、工事用フェンスで囲まれており、駐車場も閉鎖されているようでした。
付近には警察署もあり、路上駐車は地元の皆様のご迷惑になりますので、登城は自粛しています。
もし、またの機会に恵まれれば、訪れたいと存じます。
交通アクセスですが、電車の場合、JR北陸本線の寺井駅から北鉄バス利用となります。
加賀・小松城や鳥越城とセットでどうぞ。
・鳥越城 鳥越城の戦い 続日本100名城
・二曲城とは 二曲姫の悲運も
・舟岡山城 前田家の重臣・高畠定吉
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