丹波・朝日城は兵庫県丹波市春日町朝日にある丘城です。
向山の北麓にて、舌状に突き出したピークを使った城跡で、標高は140m、比高40mほどになります。
最初の築城は不明ですが、荻野氏が築いたと伝わります。
荻野氏は、丹波・後屋城の赤井氏一族で、鎌倉時代に赤井為家の次男・赤井重家が、朝日村に知行を得て、荻野氏を称しました。
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戦国時代になり、天文年間(1532年~1555年)に朝日村の荻野十八衆と呼ばれた土豪は、対馬・後屋城主である赤井時家の次男・赤井才丸を萩野家の養子として当主に迎え入れました。
荻野正元に対して、人質として、赤井才丸が送られたともあり、逆に荻野正元の子が黒井城主の荻野秋清と言う事になります。
元服して荻野直正と称すると、1554年に、荻野直正は荻野秋清への年初の挨拶として、丹波・黒井城に出向きました。
そのとき、叔父の荻野秋清を暗殺し、黒井城を奪っています。
その勇猛さなどから、荻野直正は、のち「丹波の赤鬼」と恐れられる赤井直正と、赤井姓に戻ります。
ただ、この叔父殺しにより、通称として「赤井悪右衛門」とも呼ばれるようになりましたが、自らそのように称したともあります。
そして、赤井直正は、12万石ともされる戦国大名となり、明智光秀など織田勢と対するのでした。
丹波・朝日城は、その後も萩野一族が治めていたようで、黒井城が落城した際には、荻野豊後守・萩野悪七郎などの名が見受けられます。
1575年からの明智光秀による黒井城の戦いでは、明智勢が占拠として付城として改修して使用した模様です。
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城跡の北半分には、土塁囲みの方形居館跡などが3つくらいあったそうですが、宅地開発で削られています。
ところが、その造成された地区には、住宅がまばらで、宅地開発に失敗しているような恰好です。
無駄に遺構の多くが失われずに済む方法は、無かったものかと、むなしさを感じてしまいます。
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