越中・館の城(たちのしろ)は、富山県下新川郡朝日町三枚橋字館にある館跡(平城)です。
別名は越中・三枚橋城と言いますが、典型的な中世豪族居館とされます。
発掘調査では幅が10mほどある堀跡や土塁跡も見つかったようです。
現在は、水田として開発されてしまっており、たんぼになっているため、かつて館があったとはわかりません。
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館の城と言う城跡は、東京都青梅市にある辛垣城の出城にも、同じ名前の城があります。
三枚橋城と言う名前の城も、一般的には、静岡県沼津市の三枚橋城(沼津城)が有名ですので、混同しないよう注意が必要です。
最初の築城などはまったくわかっていません。
ただ、戦国時代には、館弾正と言う武将が館主(城主)だったようです。
近くの舟川新の水神社には、室町時代後期の天文年間(1532年~1555年)に、領主・館弾正から、三枚橋氏神(龍尾権現・神明宮)に正米三十俵、舟川新氏神(若宮八幡)に正米十五俵の寄進があったの記述があります。
館弾正(たち-だんじょう)の伝承としては、東にある山城の京保山城(南京保山城)の城主としても見受けられます。
詰の城だった可能性はありますが、同一人物かどうかは、定かではありません。
代々、館氏の当主が、弾正と称した可能性もあるからです。
下の名前が不明だけに、なんとも言えません。
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館弾正の館の城への交通アクセスですが、北陸道の朝日ICからほど近い平坦な場所にあります。
当方の北陸オリジナル地図にて、あったとされる場所をポイントしてあります。
次は舟見城に行きました。
・越中・宮崎城 越後からの侵入を防ぐ重要拠点
・越中・若栗城 女のさむらい大将 奮戦の伝承
・舟見城 飛騨が渕に身を投げた入善飛騨守五郎左近尉
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