武蔵・腰越城
腰越城(こしごえ-じょう)は、埼玉県比企郡小川町腰越にある山城で標高116m、比高100m。
別名は根小屋城。
最初の築城は不明だが、平安時代末期の1180年頃に山田清義(山田伊勢守清義)が築いたともされる。
具体的には山田伊勢守清義が宇治川の先陣に敗れたので、蟄居するために腰越城を築いて入ったともある。
ただし、その時代であれば麓に館があったのだろうから山城と言う事ではなかっただろう
なお、近くの安戸には山田氏館(安戸城)がある。
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代々、伊賀守を称した
山田氏の居城だったようだが山田氏の出自は不明。
ただし、相模・深見城主として見られる、1452年頃の山田経光(山田伊賀守経光)も関係しそうだ。
北条早雲(北條早雲)が相模を平定すると、深見城の山田氏は北条家に臣従したようで、山田直義(山田伊賀守直義)の嫡男に山田直定(山田伊賀守直定)がいる。
戦国時代の天文年間(1532年〜1555年)には、武蔵・松山城主である上田直朝の重臣・山田直定(山田伊賀守直定)が腰越城主として見られる。
ただし、山田伊賀守直定はもうちょい上流側にある安戸の山田氏館(安戸城、山田伊賀守直定屋敷)を本拠としていたようなので、入口を守る城だったのだろう。
1562年、山田直定(山田伊賀守直定)は太田資正との赤浜の戦いで討死した。
その後、東松山の青鳥城主である山田直安(山田伊賀守直安)が家督を継いだようだ。
1590年、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際に、山田直安(山田伊賀守直安)は、埼玉の武蔵・松山城に詰めて上田憲定を補佐した。
北条氏滅亡後は山田直安は徳川家康の旗本として300石になっている。
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登城口から本丸まで片道10分から15分程度の模様。
遊歩道などはよく整備されている。
交通アクセス
小川町駅から徒歩2分の「おいでなせえ 小川町駅前店」にて、レンタサイクル(貸自転車)貸出中。(事前予約可能)
麓の県道沿いに小川町の総合福祉センター「パトリアおがわ」があり、その大きな駐車場の入口付近に腰越城の案内板がある。
また、腰越城に登城する際にも、その無料駐車場を利用できるようなのでありがたい。
駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
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