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小長谷城(小長井城)の解説~大井川の千頭にある城跡

小長谷城(小長井城)

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小長谷城(こながや-じょう)は、静岡県榛原郡川根本町東藤川にある山城で、別名は、小長井城、徳谷城、天王山城とも言います。
南アルプスの南側を流れる、大井川の奥地にあり、標高は362m、比高55mほどです。
最初の築城は不明ですが、今川家が駿府守護となった頃、この千頭の領主は、小長谷氏(小谷井氏)でした。

小長谷城(小長井城)

川根本町の徳山城には、駿河・土岐氏の土岐山城守(鴾山城守、鴾彦太郎)がいて、小長谷氏(小谷井氏)とは仲が良い一族であると言う文献もありますので、小長谷氏(小谷井氏)の小長谷長門守は、土岐一族の可能性があります。
しかし、南北朝時代の1353年に、足利尊氏が駿河守護・今川範氏に命じて討伐し、駿河の土岐氏は没落しました。


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戦国時代の1568年、武田信玄が駿河に侵攻すると、まもなく、小長谷氏(小谷井氏)は武田氏に臣従します。
そして、武田勝頼の代になると、長篠の戦いで大敗し、遠江・諏訪原城と、犬居城が、徳川家康に奪還されます。
そのため、小長谷城は、次に狙われそうな最前線となりました。

小長谷城(小長井城)

駿河三浦氏で駿河先方衆(駿河・田中城)の三浦員久が「土岐谷筋」(徳谷の誤記か?)の山中へ在陣するよう、命じられており、駿河・小長谷城(小長井城)に入りると、縄張りを武田流へと改修(天王山御普請)した模様です。

小長谷城

1582年、織田信忠の甲斐攻めにて、武田氏は滅びますが、この時も、小長谷城(小長井城)に徳川勢が、お押し寄せたとはありませんので、この時の城主・小長谷政房(小長谷長門守政房)は、徳川家に恭順したようです。

小長谷氏は、その後、徳川家の旗本として江戸時代も存続しています。

小長井城

千頭にお住いの皆様には、大変失礼ながら、こんな山地に、城が必要なのか?と、感じてしまいます。
しかし、駿府から山を迂回して、犬居城、二俣城へ繋がる、山間ルートであることからも、ここに砦の機能があっても良いと、帰ってから地図をみてわかりました。


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交通アクセスですが、大井川鉄道の千頭駅から、大井川を渡って、徒歩25分ほどの距離です。
駐車場は、本川根B&G海洋センターのを拝借できそうです。
今回、時間の関係で、遠景のみの撮影に留めましたが、遺構もよく残っているようですので、機会があれば、再訪してみたいところです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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