相模・沼田城
相模・沼田城(ぬまた-じょう)は、神奈川県南足柄市沼田にある平山城です。
独立した山にあると言うよりは、南足柄の山から延びた丘陵の先端付近にあると言う感じです。
長年、城の場所が不明でしたが、昭和48年(1973年)に、地元の旧家から城図が発見され、特定されました。
そこそこの規模もあったようで、相模・沼田城から東にある八乙女神社の池も、水の手だった模様です。
最初の築城としては、平安時代末期に波多野氏の一族である沼田氏が築きました。
波多野氏は、波多野荘が本領ですが、沼田郷・河村郷(河村館)・松田郷・大友郷などに一族を配していました。
波多野遠義の6男・沼田家通が入り、沼田三郎家光、沼田五郎家村、沼田五郎三郎家政、沼田又二郎助家と続いています。
1203年、和田義盛による和田の乱の際に、北条義時側の討死した武将に「ぬまたの七郎、同次郎」とあります。
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1416年、上杉禅秀の乱の際に、相模・沼田氏は、上杉禅秀に味方して敗れ、領地が没収されると、鎌倉公方・足利持氏に味方していた、大森頼春に与えられたと言います。
今川範政・大森頼春・葛山氏の軍勢が「足柄の陣を攻落し、相州に打越て曽我・中村を責落し」たとあり、中村党も没落しました。
大森頼春は、小田原城を改修して本拠としていますが、箱根山一帯の支配権を得ており、相模・沼田城や、相模・土屋氏館なども整備をしたようです。
その後、韮山城の北条早雲(伊勢宗瑞)が、小田原を攻めると、北条氏の領地に変わりましたので、馬出などの遺構など、大規模なものは、北条氏による改修と考えられます。
本丸と想定されている部分は、奥に一軒の民家があり、トップの写真のところから、入れるようです。
何やら、2トンのダンプカーが入って、工事をされていましたので、接近するのは自粛しました。
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交通アクセス
相模・沼田城への交通アクセス・行き方ですが、伊豆箱根鉄道の大雄山線「相模沼田駅」から徒歩10分で、坂を上がります。
道路は1.5車線で、周囲に駐車場はありません。
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