恩田城
恩田城(おんだ-じょう)は、神奈川県横浜市青葉区恩田町にある堀の内の武士居館で、恩田堀の内と呼ばれています。
鎌倉時代の御家人に恩田氏がおり、福昌寺付近が城館跡と推定されているようです。
恩田氏の出自に関しては不詳ですが、ひとつの可能性として記載したいと存じます。
真田幸村などで有名な真田氏の発祥は、相模・真田城ですが、その真田氏の重臣に、小山田氏がいるのはご存知の方も多いかと存じます。
小山田氏の発祥は、恩田城の北側になる小山田城です。
その真田氏の重臣に、別途「恩田氏」もいます。
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この真田家に仕えている恩田氏が、もし、古くから仕えていたならば、横浜の恩田氏と親戚だったことは充分に考えられます。
ただし、沼田氏の一族である恩田氏が、真田昌幸が戦国時代に沼田城を攻略した前後から仕えたと言う事であれば、話は変わってきます。
いずれにせよ、横浜の恩田氏に関しては、よくわかりません。
戦国時代、恩田・万年寺の和尚が瀬谷の山田伊賀守と、碁の勝負で負けてしまい、梵鐘を持っていかれたと言う昔話があります。
まんが日本昔ばなしにも「万年寺のつり鐘」と言うタイトルで紹介されている有名な昔話です。
この鐘は、恩田氏が、鋳物師の物部氏に依頼して鋳造されたとも伝わります。
瀬谷の山田氏と言うのは、相模・深見城主の山田伊賀守経光(山田経光)の可能性が高いでしょう。
恩田から瀬谷に持っていかれた鐘は音色が変わり「ゴオ~ンダ、ゴオ~ンダ」と、恩田の地を懐かしんで鳴ったと言うのが結末です。
その鐘は、現在、瀬谷区の妙光寺にありますが、寺の記録では、1325年に鋳造され、万年寺から妙光寺には1452年に移ったとあるため、実際には戦国時代の話ではない模様です。
借金のかたに鐘を譲渡した、禅問答をしたところ負けて鐘を持っていかれたなど、諸説あるようです。
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交通アクセス
恩田城跡は、宅地開発されており、遺構や案内板などはありません。
恩田城への交通アクセス・行き方ですが、こどもの国線「恩田駅」から丘を登ること約800m、徒歩12分くらいの距離です。
車の場合、福昌寺の駐車場が拝借できそうです。
恩田城にまつわる可能性がある話として、別途、内方姫もありますので、よければ、あわせてご覧頂けますと幸いです。
・内方姫供養塔 恩田城主の娘・内方姫
・深見城 山田家・四万坂の戦い【相模・深見城】
・成瀬城 小山田弥三郎の関係【戦国時代の小山田氏考察】
・沢山城(三輪城)もセットでどうぞ
・関東や神奈川県の城跡などのオリジナル地図
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