種垂城(たなだれじょう)は、埼玉県加須市上種足にある平城です。
最初の築城としては、1455年頃に菖蒲城の支城・出城的役割として築かれたと考えられています。
騎西城の小田顕家が、忍城主・成田親泰の子である成田助三郎宗長(小田朝興)を娘婿して、隠居した城が種垂城と考えられています。
小田顕家(おだ-あきいえ)の出自はよくわかっていませんが、常陸・小田城主の小田一族と考えられています。
もし、小田家の一族でしたら、恐らくは騎西城主の跡取りとして婿養子にでも入ったのかな?と言う気が致します。
1502年頃には騎西城主になっていた小田顕家ですが、その後、忍城主である成田親泰に屈しました。
そして、成田親泰に屈すると、上記の通り、次男・成田助三郎(成田朝真)を養子に迎えて、上種足・百石(地名)にて隠居しました。
その隠居先がココ種垂城だと推測される訳です。
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1539年、小田顕家が死去すると、菩提寺の雲祥寺(川里村)に葬られました。
ちなみに、騎西城主となった成田助三郎は小田朝興(小田家時)と改名します。
小田朝興(おだ-ともおき)は、1563年に上杉輝虎(上杉謙信)が騎西城(私市城)を攻めて落城した際の城主でもあったと推定できますが、詳しい事は不明です。
忍城は北西約8キロで騎西城は近く北西約3キロとなります。
発掘調査では、室町時代の陶磁器や漆椀などが出土しているため、戦国期まで使用されていたようですが、詳しい城主などは不明です。
現在は種垂城址公園として整備されており、城跡として保存されていますが、もともと遺構は乏しかったようで、城跡として感じ取れる箇所はほとんどありません。
また、種足(たなだれ)と言う漢字に地名も変わっています。
種垂城への交通アクセス・行き方ですが、無料駐車場は下記の地図ポイント地点です。
道がちょっとわかりにくいですので、地図をよく見てご訪問願います。
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