千福城(せんぷくじょう)は静岡県裾野市にある平山城で、比高25mほどの台地上にあります。
葛山氏によって築かれた支城のひとつで、葛山備中守の居城だったとされます。
その後、戦国時代の1572年頃には、葛山一族で武田重臣になっていた御宿友綱(御宿監物友綱)が千福城主となっており、子の御宿政友(御宿勘兵衛政友)も城主を務めたと考えられています。
御宿友綱(御宿監物友綱)は、葛山城主となった武田信玄の6男・武田信貞(葛山信貞)に代わって、葛山領の支配を代行しました。
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駿河・千福城の縄張りは武田家特有の丸馬出がなく北条家の設計に類似する点が多いようで、北条氏政の文章には千福城の拡張工事に触れて「松田憲秀が言い訳ばかりでちっとも働かず、清水新七郎に下知したら快く引き受けてくれた」と記載されているそうです。
そのため、北条家が改修したと言って良いでしょう。
千福城の麓には、城主の屋敷跡と考えられている普明寺があり、その本堂右手の墓地から山に入る登山道があります。
山頂部の標高は約200mで、麓の普明寺との比高は42mとなり、規模的には葛山氏より大きいとの事ですが、西側は東名高速により失われています。
葛山氏が武田家に臣従すると、甲斐に運ばれる塩の保管地点にもなったようで、塩蔵城とも呼ばれています。
なお、北西側は東名自動車道の建設により大部分が破壊された模様です。
下記の地図ポイント地点は、普明寺の駐車場となります。
駿河・葛山城とセットでどうぞ。
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