石川県

穴水城 能登にある長氏の本拠地

穴水城




穴水城(あなみず-じょう)は、石川県鳳珠郡穴水町にある標高62mの山城で、眼下に穴水港と市街地を望み、海城としても機能していたようです。
別名は、岩立城、白藤城、白波城、岩木城と言います。

最初の築城は、鎌倉時代とされ、源頼朝から安芸国の検非違使に任命された長谷部信連(はせべ-のぶつら)が、能登国珠洲郡の大家荘に庶流を得たことから、詰の城として築かれたともされます。
その子孫は、やがて「長」と省略した姓名を称しており、能登守護の畠山氏の重臣として仕えました。





戦国時代には、長続連(ちょう-つぐつら)が改修・整備を進めた模様です。
下記の写真は本丸下まで登れる道路の様子です。

穴水城

1576年、能登に上杉謙信が侵攻した際に、畠山家の家臣らはそろって堅固な七尾城に兵力を集めて籠城しました。
そのため、留守になっていた穴水城や富木城、熊木城は次々に上杉勢が攻略しています。
こうして、穴水城には、上杉家の長沢筑前・白小田善兵衛が置かれて占領されました。

穴水城

その後、上杉謙信が一度退却した隙に、長氏は穴水城を攻撃しようで、能登・甲山城にいた上杉勢の平子和泉、轡田肥後・唐人式部・板倉伝右衛門らが穴水城の救援に向かったとあります。
このとき、勇将として名高い長連龍が、法衣姿で能登水軍を率いて、乙ヶ崎合戦にて上杉勢の首級70を取り大勝利を収めています。
しかし、上杉謙信が再度能登に向かうと、長氏らは七尾城に籠りました。

そして、七尾城が陥落した際には、遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの裏切りに遭い、長続連と子の長綱連、長綱連の弟・長則直、長綱連の子・竹松丸と弥九郎など長氏の一族14の将は殺害されました。
こうして、穴水城も再度、上杉家の手に落ちています。

穴水城

織田信長に援軍要請の為、安土城を訪問していた長連龍が唯一生き残ります。
1578年、穴水城にいた長沢筑前が、珠洲郡正院の一揆鎮圧に出陣した際に、長連龍は残党ら500にて穴水城を急襲すると、菱脇の戦いにて奪い返しています。
こうして、長連龍は前田利家に臣従し戦国を生き抜きましたが、穴水城は1583年には廃城になったとされています。
しかし、長連龍が3万3000石にて穴水領を支配しました。

穴水城

現在、城跡は穴水城址公園として整備されており、曲輪(くるわ)や堀跡などが見受けられます。

登城口は、穴水町役場の東奥、能登水軍の舟隠しと呼ばれる兵船置き場になっていた、長谷部信連を祀る長谷部神社の裏手など4か所あるようです。
山城の南東側に歴史民俗資料館もあり、信長や利家らの朱印状も展示されているようです。





穴水城への交通アクセス・行き方ですが、のと鉄道の穴水駅から徒歩20分となります。

クルマの場合、麓にある穴水町役場の駐車場も拝借できますが、東側から舗装路を上がっていくと、本丸の近くまで行けます。
下記が駐車スペースになっていますが、トイレはあまり使いたくないトイレに感じました。

穴水城

桜やアジサイの名所にもなっているようで、とても良いところですが、ひっそりとしていました。

能登・崎山城 勇猛な三宅宗隆
能登・越坂砦
上杉謙信・長尾景虎・上杉景虎の人物像に迫る
長連龍 能登・畠山家の滅亡で一族が誅殺
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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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