和歌山県

高富山城 南紀串本の城跡

高富山城

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高富山城は、和歌山県東牟婁郡串本町高富にある比高50mほどの平山城です。
この紀伊・高富山城ですが、築城年代、城主など、史料に記載が無いようで、まったく不明です。
城跡も単なねヤブになっているようでして、取り上げるかどうか、悩みましたが、たまには、このように人知れない城跡の情報も残しておくべきだと、なぜか?感じで執筆致しております。

最初は、富山城と言う文字の方が目に入ってしまい、富山にある高い場所お城と言う意味なのかな?と思い込んでしました。
しかし、すぐに、それは間違えだと気が付かされました。


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この場所の地名は高富(たかとみ)と言うそうで、高富山と言う名称が、城跡の山の名前のようです。
すなわち、紀伊・高富山城(たかとみやま-じょう)と呼ぶのが正解なようです。
となると、高富城と呼ばれていても、おかしくないのではと感じましたが、高富山城でしか呼ばれなかった模様です。

高富山城

北側の城下には国道42号が通っていますので、熊野街道の抑えの役割もあったのでしょう。
南側は太平洋に面していますので、防御面も悪くはないと存じます。
ちなみに、城の防御と言うのは、敵が攻めにくい状態にすると言うのも重要ですが、籠城が長引いた場合の補給と、もうダメだと言う時の逃げ道を考慮しておくのもとても重要です。
その点、高富山城は海からの補給も期待できますし、小舟を用意しておけば、海原にも逃れることができます。
問題は、井戸があり、水の確保ができる状態であったかですが、もちろん、戦国時代から400年以上となった現在では不明です。

戦国時代には、紀伊・和深浦城主にもなっていた、村上源氏の流れで和深八幡の神主でもある村上氏がいます。
それに対して、紀伊・虎城山城には、高川原貞盛(高川原摂津守貞盛)がいますので、どちらかに高富山城が属していた可能性はあります。
ただ、肝心の中間地点・串本の領主がわかりません。
串本も重要な港町ですし、暴風雨の際には避難港にもなっていた、紀伊大島の大島港と言い、支配者がいておかしくないのですが、私の調査では限界でした。

また、高富山城の近くには駐車場も無かったため、登城も断念しています。


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ちなみに、紀伊大島では、1890年(明治23年)に、トルコの軍艦・エルトゥールル号が遭難し、漁村の日本人が救助した事がありました。
この話は「海難1890」として、映画にもなっています。

海難1890

高富山城がある場所は、当方のオリジナル関西地図でもわかるようにしてあります。
カーナビ代わりにも使える便利な地図になっておりますので、よければご活用賜りますと幸いです。

何か情報をお持ちの方がおられましたら、ぜひ、下部のコメント欄にでもお寄せ願えますと幸いです。

紀伊・周参見城 安宅氏と血縁関係で生き延びた周参見氏
紀伊・虎城山城(古座浦城) 高河原貞盛・高河原家盛
橋杭岩 弘法大師伝説を生んだ大小40の奇岩群


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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