茨城県

額田城 広大な城域は東京ドーム22個分 額田照通の本拠地

額田城

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常陸・額田城(ぬかだ-じょう)は、 茨城県那珂市額田にある丘城で、標高30mの額田台地の端を巧みに利用した比高15mほどの連郭式平山城です。
額田城の城域は、茨城県にしては広く・広大で東京ドーム22個分ほどあると言います。
なおかつ、遺構も比較的よく残っていることから、人気もある城跡になっています。
城下町全体を、空堀と長大な土塁で囲っていたようで、ある意味「総構え」の城下となっていた模様です。


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最初の築城は、鎌倉時代の佐竹家4代三当主・佐竹義重の子である佐竹義直が、建長年間(1249年~1255年)に分家して額田義直と称したとされています。
ただし、当初は、現在の阿弥陀寺の場所に屋敷を構えていたとも考えられています。
その後、額田氏は佐竹一門として10代、約170年の額田城を居城としましたが、ある程度、独立性も高かった模様です。

額田城

佐竹宗家12代・佐竹義盛は子に恵まれず、関東管領・上杉憲定の2男・竜保丸(上杉義憲)を養子に迎えようと小野崎通綱や江戸通高が画策します。

しかし、山入城の山入与義、額田城の額田義亮、長倉城の長倉義景らが反発は、1407年、常陸・長倉城にて挙兵し、阻止しようとしました。(山入一揆・山入の乱)
関東公方・足利満兼は岩松持国(または岩松満範)に命じて長倉城を包囲させると開城降伏し、山入与義は本拠の山入城にて蟄居しています。
そして、竜保丸は佐竹義憲と称して常陸・太田城に入りました。
しかし、1416年に上杉禅秀の乱が勃発すると、佐竹義憲は関東公方・足利持氏を助けたため、山入与義、長倉義景、額田義亮らは上杉禅秀を支持し再び佐竹家も内紛となります。

額田城

1417年、上杉禅秀が自刃すると、山入与義、額田義亮らは室町幕府の支援を受けて、足利持氏と佐竹宗家に反発し、1421年には額田城にて籠城しました。

額田城の戦いとなり、足利持氏は二階堂信濃守、宍戸備前守らを援軍として送り、佐竹義憲は鳥名木国義、烟田軒幹らを総動員したため、1423年3月31日、額田城は落城して額田義亮は討死しました。

額田城

なお、小野崎城主・小野崎通業の孫である小野崎通重が額田城主となり、小野崎・額田氏の祖となりました。
これにより、額田氏は滅亡し、佐竹氏は、常陸での統治を強固なものにできています。

額田城

しかし、小野崎・額田氏もやがて反目する行動を取り、1588年に、江戸重通の重臣である江戸通澄らと、神生右衛門大夫らが徳政令を巡って対立すると、神生氏が離反し小野崎氏を頼ったため、額田照通は神生右衛門大夫を額田城にて匿いました。(神生の乱)

額田城の空堀

佐竹義重は、江戸通澄を支持したため、1589年、江戸家を支援して額田城を攻めており、額田照通は降伏しています。

額田城

佐竹家が豊臣秀吉に臣従したあと、1591年、額田照通は伊達政宗に内通したとされ、佐竹義宣に攻められ額田城の戦いとなっています。
再び額田城は落城し、額田照通は伊達政宗を頼って落ちのびると、3000石で迎え入れられたのち、徳川忠輝らの世話を受けました。
この結果、佐竹家は常陸を統一するに至ります。

額田城

関ケ原の戦いのあと、1602年に、佐竹義宣が秋田・久保田城へ転封になると、額田照通は常陸に戻り、額田久兵衛(額田久兵衛照通)と称して、600石にて水戸城の徳川頼房に仕えたとされます。
額田久兵衛の屋敷は、水戸城下田町水門にあったと言います。

なお、江戸時代には1661年~1700年にかけて、水戸藩の支藩「額田藩」(ぬかだはん)が成立しています。
徳川光圀(水戸黄門)の弟・松平頼元が初代の額田藩主となりました。
のちに約2万石となると、額田陣屋が置かれています。

交通アクセス・行き方ですが、JR水郡線の那珂駅から徒歩20分となります。
額田城の整備などには額田城跡保存会が尽力しており、額田地区交流センターが完成し、無料駐車場が利用できるようなっており、案内板もあります。
駐車場入口を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
すぐ裏手に、空堀が見受けられました。

また、阿弥陀寺に解説版があり、駐車場も拝借できるようです。


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今は田んぼですが、南側には有ヶ池があり、天然の水掘になっていたと言う事です。
藪蚊が多いので、夏季は虫除け必須です。

今回は予定外の訪問であったため、簡単に済ませましたが、一度、じっくりと見学させて頂きたい城跡です。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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