常陸太田・小野崎城(おのざき-じょう)は茨城県常陸太田市瑞竜町小野崎にある、比高15mほどの丘城で、台地の先端に築かれていました。
最初の築城は、小野崎通盛とされます。
この小野崎氏は、もともと常陸・太田城主であった太田氏で、常陸・馬坂城の佐竹隆義の圧迫を受けて、ここの小野崎城に移転したと言う事になります。
なお、遺構は明確ではないようですが、この台地は今宮大納言の屋敷になる今宮館・八百岐館があり、北側にある常陸太田特別支援学校のところが、小野館跡となります。
城下町を城内に取り入れたともされ、まとめて「瑞竜城砦群」と言う場合もあるようですが、その4つの館・城にて全体を防御しようと狙ったのか、それぞれ、独立した防御態勢だったのかは、もやはわかりません。
ただし、平時は、小野館跡を住居としていたことでしょう。
しかし、山尾城、石神城に小野崎氏が写ると、佐竹一族の今宮氏の領地になった模様です。
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小野崎通盛の子・小野崎通長の頃からは、佐竹家に臣従するようになり、以後、佐竹氏の重臣となりました。
なお、小野崎一族としては、山尾城の山尾小野崎氏、石神小野崎氏、額田城の額田小野崎氏などを輩出しています。
また、小野崎氏第13代当主・小野崎通春の次男・小野崎通伯は、常陸国久慈郡小貫村に入って小貫通伯と称しました。
戦国時代の佐竹義重・佐竹義宣のときには、和田昭為、人見藤道、小貫頼久が3家老を務めています。
本丸部分は、常陸太田市立瑞竜中学校になっており、駐車場に城址の石碑があるそうですが、完全に敷地内で、まだ授業中でしたので、承諾を得て見学させて頂く方法も自粛致しました。
なお、常陸・小田城主の小田氏に仕えていた、岡見氏系(荒井氏)の小野崎城が、同じ常陸国の筑波にあるため、このページでは、常陸太田・小野崎城として区別させて頂きます。
常陸太田・小野崎城への交通アクセスですが、JR水郡線・常陸太田駅から路線バスにて、上町バス停下車し、徒歩13分です。
駐車場はありません。
・常陸・太田城(舞鶴城) 戦国大名に発展した佐竹氏の本拠地
・常陸・馬坂城 佐竹発祥の地 佐竹寺と佐竹氏の由来も
・額田城 東京ドーム22個分 額田照通の本拠地
・佐竹義宣 なんとか戦国時代を乗り切った律義者の世渡り
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