茨城県

常陸・武生城 佐竹家が常陸守護になるキッカケとなった堅固や山城

常陸・武生城

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常陸・武生城とは

常陸・武生城(たきゅう-じょう)は、茨城県常陸太田市下高倉町にある高倉城、麓城、竜ヶ井城とも言う標高340mの山城で、比高は230mもあります。
旧水府村で、たくさんの観光客が訪れる「竜神大吊橋」の向かいにある岩山が城跡になっています。

最初の築城は、鎌倉時代に国井経義が築いたとされ、国井氏はその後、高倉氏を称しました。
南北朝時代の1336年になると、足利尊氏に味方した常陸・太田城主の佐竹貞義が石名坂の古沢野にて南朝勢に敗れて、子の佐竹義篤(9代)は武生城に防御に優れた常陸・武生城に入って、南朝の楠木正家が入った瓜連城に対抗しました。
武生城には陸奥好嶋荘の伊賀盛光らが援軍として入り、佐竹秀義が籠城した金砂山城と連携しながら、約1年間かけて勝利したことかせ、以後、佐竹家は常陸守護を世襲するようになりました。


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ただ、常陸・武生城の話が出て来るのは、このときだけで、その後、戦国時代になっても使われていたのかなどは不明です。

現在、武生城の南には、竜神大吊橋(歩行者専用・有料)が掛かっており、その対岸の正面の山の上が常陸・武生城と言う事になります。

常陸・武生城は、切り立った岩が露出し断崖絶壁になっている天然の要害です。
単なる城めぐりとして訪問する場所ではありません。
高倉山への登山地図やトレッキングポール、登山靴など装備は万全でお願いします。

もちろん、竜神大吊橋とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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