茨城県

月居城(袋田城) 袋田の滝近くにある要害性抜群の山城

月居城




月居城(つきおれ-じょう)は、茨城県久慈郡大子町袋田にあり、袋田城とも呼ばれる山城で標高404mになります。
すぐ脇には、観光名所として名高い「袋田の滝」がありますが、その滝からの比高は284mほどになる、大変堅固な山城です。
最初の築城は、築城は、南北朝時代の応永年間(1394年~1424年)とされ、袋田の領主で袋田氏が築きました。
袋田氏は、常陸・太田城主の佐竹氏の一族である北酒出氏の分家になり、北酒出助義の3男・袋田定義が築城したようです。





のち、袋田氏から小田野義継が佐竹氏一門の小田野氏嫡流の婿養子となって頃藤城主になったため、袋田氏は断絶したとも言います。
室町時代には、同じく佐竹氏一族の山入氏が袋田を含む依上保も支配しましたが、1407年からの「山入の乱」の隙をついて、白河結城氏の結城満朝による侵攻を許し、約40年間、白河領になっていました。

1504年、山入氏が滅亡したあとは、佐竹義舜が奥州岩城氏の支援を得て依上保を奪還すると、月居城は再び使われるようになります。
1516年、佐竹義舜は、常陸・高柿城主の高柿弾正少弼なる武将に月居城の十日在番を命じています。
十日在番と言うのは、10日交代と言う意味になります。
また、古河公方家の足利政氏・足利高基の内紛のときには、地侍と見られる石井縫殿助、石井三郎兵衛、滑川兵庫助らに那須方面への出陣と、月居城の籠城を賞した書状も現存するようです。

その後、相川館の野内氏が月居城に入ったようで、1567年、佐竹義重が野内隼人と言う武将に所領安堵した記録があります。

月居城

また1576年、下津原稲荷神社の棟札に、野内肥前守広忠、同息孫太郎(野内忠時)の名が見受けられます。
野内大膳亮忠時は、1589年、佐竹義宣に従って奥州・須賀川の陣に参じました。

1602年、佐竹家が秋田の久保田城に移封となると、出羽・大館城下に移封した野内大膳亮は、月居斎を号しています。

なお月居城は、江戸時代に廃城になっていましたが、幕末に再び、その名が出てきます。

1864年10月27日、天狗党の一派である藤田小四郎、武田耕雲斎ら1000が、月居峠にて水戸藩家老・市川三左衛門ら保守派および幕府軍の2000と戦闘になりました。
大岩を落とすなどして、天狗党の1名が戦死したとあります。

交通アクセスですが、JR水郡線袋田駅より麓の登城口まで徒歩約40分になりますので、大子駅の観光案内所でレンタサイクルを借りた方が良いかもしれません。
下記は月居山へ登山口のひとつです。

月居城

ロープを伝って岩場を登る箇所もありますので、トレッキングポールなど、軽登山の装備が必要ですが、月居山ハイキングコースになっていますので、登山目的で訪れる方が多いようです。

駐車場は、袋田の滝近くにある駐車場利用になりますが、旧道の月居トンネルより西側のしたりほうにも駐車スペースがあるそうですので、そこからですと、標高をある程度、稼げます。
約30分~40分で山頂に到達できるとの事ですが、昔は守備するにしても食料を上げるだけでも大変だったことでしょう。

険しい山道で、時間もかかることから、今回は登城は致しませんでした。

もちろん、袋田の滝とセットでどうぞ。

常陸・山方城 山方盛利や佐竹政義の居城
常陸・太田城(舞鶴城) 戦国大名に発展した佐竹氏の本拠地
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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