秋田県

出羽・亀田城(亀田陣屋) 真田幸村の子にも所縁ある亀田藩

出羽・亀田城

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出羽・亀田城(かめだ-じょう)は、秋田県由利本荘市岩城亀田にある平城(陣屋)で、亀田城陣屋、天鷺城とも呼ばれます。
現在、亀田陣屋跡には亀田城佐藤八十八美術館がありますが、建物は、お城そのものです。

出羽・亀田城

出羽・亀田藩と言いますと、2代藩主・岩城宣隆の側室に、なほ(御田姫、顕性院)と言う姫がいます。
この御田の方は、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」において「たか」と言う名で登場した、豊臣秀次の娘・なほ(隆清院)の娘とされます。
豊臣秀次事件にて、妻子ら一族が処刑された際に、この豊臣秀次の娘・たかは、真田幸村(真田信繁)が救ったともされ、真田幸村の側室になったとする説もあります。
この豊臣秀次の娘・たか(隆清院)が、産んだ娘が、なお(御田の方)と言う事になり、真田幸村の娘である可能性があります。

なお(御田の方)

その御田の方が16歳の頃に側室としてあがったのが、出羽亀田藩主の岩城宣隆でした。

亀田陣屋

なお、真田幸村の側室になったともされる、なほ(隆清院)は、真田幸村が討死した2ヶ月後に、三好幸信(三好左次郎)と言う男児を産んでいます。
この三好幸信(三好左次郎)も、岩城家が引き取り、三好姓を称した訳ですが、真田十勇士に登場する三好と言う忠臣の名から採用したのかも知れません。

もちろん、御田の方は、江戸藩邸で生活したと考えられるため、亀田には1回も来なかった可能性はあります。
亡くなった際の葬儀も江戸でしたが、墓は亀田の妙慶寺にあります。

御田の方の墓

なお、秋田には御田の方の父とされる「真田幸村」が落ち延びていたとする伝承もあります。
御田の方を側室にした岩城宣隆は、久保田城に移封となった、常陸の戦国大名佐竹義重の4男です。
要するに、佐竹氏が御田の方を迎えたと言っても過言ではなく、そのつてを頼り、真田幸村と真田大助が秋田にきて、出羽・大館城の城下にて生涯を全うしたともされます。

すぐ近くには歴史テーマパーク、史跡保存伝承の里・天鷺村もありますので、セットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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