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浪岡城(浪岡御所)
浪岡城(なみおかじょう)は青森県青森市浪岡にある平城です。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にもなりました。
いつ頃から城があったかは定かではありませんが、北畠顕義によって文中・応永年間(1372年~1428年)頃に築城されたと考えられています。
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北畠顕義(きたばたけ-あきよし)は、南北朝時代に新田義貞や楠木正成らと2度も足利尊氏を撃退し、義良親王を奉じて陸奥に下向した鎮守府将軍・北畠顕家の一族(支族)と推定されています。
北畠顕義じたいは、浪岡北畠家の4代当主となり、別名を浪岡顕義とも書きます。
浪岡北畠氏は、最初、南部氏の庇護のもと、稗貫郡(岩手県中部)にいたようですが、やがて南部氏が北朝に鞍替えすると、津軽地方の浪岡城から近くの源常館(げんじょうやかた)へと移った模様ですが、その時期は諸説あります。
浪岡北畠氏の初代・北畠顕成の娘は、十三湊の安東貞季(安東太郎貞季)の妻になったとされますが、安東貞季が浪岡北畠氏を、迎えたと言う事でしょう。
そして、北畠顕義の代に源常館から浪岡城へと移ったと言う事になります。
源常館から近くの浪岡城へ移った訳ですが、浪岡川北岸の微高地にあります。
浪岡城は新館、東館、北館、猿楽館、内館、西館、検校館、他にも名称不明の館など、いくつも建物があったようで、周囲は土塁や堀で巡らされていました。
下記写真の奥に写っている山は「岩木山」です。
発掘調査による出土物は、4万点(中国製茶壷や陶磁器1万6千点)にも及ぶと言いますので、まさに、浪岡北畠氏の本拠地であったことを物語っています。
戦国時代の7代・浪岡具永(なみおか-ともなが)(1487年~1555年5月24日)は、名君とうたわれ、京にも上洛して朝廷より従四位下・左近衛中将の任官も受けています。
その子、浪岡具統(なみおか-ともむね)(1509年~1552年10月3日)の頃には、寺社修復などで財政困難を招いており、衰退の要因を作ったようです。
浪岡御所の周りには、祇園神社(北中野広峰神社)、八幡神社(浪岡八幡宮)、加茂神社(五本松加茂神社)、春日神社(廃社)などがありました。
実際に散策してみますと、御所と言うだけに広く、遺構はなかなか見ごたえがありました。
平城であるため、高低差はほとんどなく、歩きやすいですが、冬は当然雪だらけになるかと存じます。
浪岡氏の家臣としては、大釈迦館主・奥寺万助、王余魚沢館主・軽井源左衛門尉、三宅館主・三宅藤太左衛門高重などかいます。
川原御所の乱
浪岡具統の弟・北畠具信(きたばたけ-とものぶ、浪岡具信)が、分家の河原御所(川原御所)を再興していました。
下記写真は川原御所の碑ですが周辺は住宅で明確な遺構はありません。
場所は当方のオリジナル地図に掲載しています。
浪岡氏の第9代当主・浪岡具運(なみおか-ともかず)と北畠具信は所領争い(実質的には宗家の家督争い)を起こします。
その結果、1562年1月3日、浪岡御所の浪岡具運が、近所の河原御所の北畠具信のところに挨拶に来ると、浪岡具運は殺害されました。(享年31)
しかし、浪岡具運の補佐を務めていた弟・浪岡顕範がすぐに返り討ちし、浪岡具信(川原具信)も殺害され、結果的に浪岡北畠家の家督は、浪岡具運の遺児・浪岡顕村(なみおか-あきむら)が継いでいます。
ただし、僅か8歳であったことから、浪岡顕範が後見人となりました。
浪岡顕村は、檜山城主・安東愛季の娘を正室にむかえて勢力回復を試みますが、乱世の中、内紛も起こり、浪岡氏の衰退は避けられませんでした。
天正6年(1578年)、南部家から独立を果たしていた大浦城主・大浦為信(津軽為信)が、2000にて浪岡城を攻撃すると、寝返りが相次ぎ、浪岡顕範は討死します。
浪岡顕村は捕縛されて西根の寺で自害したとも、舅の安東愛季を頼って檜山城近くの茶臼館に逃れ、1604年に死去したとも伝わります。
これにより、浪岡氏は滅亡しましたが、子孫は三春藩の秋田家に仕えており、代々秋田姓を名乗りました。
ただし、隠居したあとや庶子は、浪岡姓を称しています。(三春浪岡氏)
浪岡氏滅亡後の浪岡城ですが、1585年に油川城を攻略した際には、大浦氏(津軽氏)の拠点のひとつとして見受けられます。
ただし、南部家は大浦氏(津軽氏)の津軽支配を認めていなかったので、記録上は浪岡城には南部家の家臣が入っていたことになっており、1590年に大浦氏の急襲にて落城したと言う事になっているようです。
ただし、これは大浦氏が惣無事令違反をしたと、南部氏が豊臣秀吉に訴える口実だとも考えられますが、結局は大浦氏の領有が安堵されています。
現在の浪岡城跡(浪岡御所跡)は、公園整備されていて、とても散策しやすくなっています。
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アクセス
浪岡城(浪岡御所)へのアクセス・行き方ですが、JR奥羽本線の場合、波岡駅で下車して徒歩約10分です。
青森空港からはクルマで15分ほどの距離ですので、レンタカーで帰りに時間が余った場合などには最適な観光スポットとも言えます。
青森空港から弘前駅までいく空港バスの場合、浪岡バス停下車で、徒歩約6分となります。
浪岡城の案内所では写真や解説のパネル展示もあります。
城跡に建物などは復元されていませんが、遺構は、比較的良好です。
散策(見学)の所要時間は30分~60分といった具合です。
弘前城の桜の時期より少し遅れて、サクラも開花する、桜の名所にもなっています。
11月上旬頃は紅葉も大変キレイなところです。
別途、川原御所や源常館の場所も含めて、当方のオリジナル東北マップにて、正確な場所も示させて頂いております。
・源常館~浪岡北畠家が最初に本拠地とした岩木山も望む台地
・大楠公「楠木正成」の知謀を探る~日本史上に残る知将の戦い
・津軽為信(大浦為信)と戌姫~南部家から独立し津軽統一を果たした智将
・沼田祐光とは~津軽家の軍師ととして活躍した多彩な戦国武将
・大浦城~津軽氏発祥のみなもと大浦光信・大浦盛信・大浦為則
・弘前城~現存櫓や天守が風情ある広大な津軽家の城
・安東愛季 安東氏を大きく飛躍させた戦国大名
・檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
・日本全国のお城紹介地図「駐車場」の場所を中心に掲載中
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