三重県

伊賀・掛田城 1万の織田勢に屈するしかなかった富増伊予守

伊賀・掛田城




伊賀・掛田城(かけだ-じょう)は、三重県伊賀市下川原字六十苅にある丘城で、標高は245m、比高25mです。
別名は、富増伊予城とも言いますが、これは、伊勢地村の富増伊予守が築城したからと言うことになります。
ただし、もっと昔から砦があったかも知れませんし、詳細は不明といったところでしょう。

初瀬街道(伊勢北街道)を抑える小さな丘城となり、掛田峯と呼ばれる丘陵の先端部に築かれています。

本丸は、土塁囲みの単郭方形になっているようで、その周りは曲輪が二段重ねたような縄張りになっている模様です。
残っている遺構は、結構、良い状態だとのことです。





天正伊賀の乱では、1579年、伊勢・丸山城を築くも攻められて敗れた北畠信雄が侵攻して来ました。
青山峠を超えてきた織田勢は1300でしたが、200にて最初の織田勢の侵攻は防ぎました。

しかし、1581年の第2次天正伊賀乱にて、北畠信雄(織田信雄)が、滝川雄利・織田信澄ら1万にて包囲し、伊賀全土が壊滅する幕開けとなった城になりました。

守っていたのは、上津阿保(こうづあお)の土豪らを従えた、富増伊予ら200名ほどだったと言います。
あえなく掛田城は落城し、逃れることができた兵は、奥鹿野の久昌寺、種生の国見城、柏尾の本田城などへ落ち延びました。

交通アクセスとしては、近鉄大阪線の伊賀上津駅から登城口まで徒歩10分といったところです。
駐車場はない模様ですが、路駐するツワモノもいるようです。
くれぐれも、住民の迷惑にならないよう、お願い申し上げます。

東の谷を挟んだ向こうは城氏城となります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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