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宇和島城 詳しい歴史と真の宇和島城は五角形?

宇和島城

宇和島城(うわじまじょう)は、標高76m(比高は76m)の梯郭式平山城で、別名は鶴島城、板島城、丸串城とも言います。
いずれにせよ「島」と言う名がついていますので、平安時代頃までは、湾内にある「島」だった可能性があります。

941年に、警固使・橘遠保が、藤原純友の乱に際して、板島に砦を構えたのが始まりと言われています。
となると、戦国時代の城と言うよりは、かなり歴史が古い城と言えるでしょう。

鎌倉時代の1236年には、西園寺公経が宇和島周辺を支配し、砦程度の城を築いたとされ、板島丸串城と呼ばれていたそうです。





1546年、西園寺家傘下である高串道免城の家藤信種(家藤監物)が丸串城主となり、大友家や長宗我部家の侵攻に耐えています。
1575年、家藤信種(家藤監物)が道免城に戻ると、西園寺宣久が板島丸串城を本拠とし、板島殿と称されました。
1584年、西園寺家は長宗我部元親の猛攻を受け、黒瀬城主の当主・西園寺公広が降伏。
1585年、豊臣秀吉の四国攻めとなると、伊予・湯築城主となった小早川隆景の支配下となり、家臣・持田右京が板島丸串城を任されました。

宇和島城

1587年、小早川隆景が筑前へ転封されると、豊臣家の古参家臣である大洲城主・戸田勝隆の所領となり、一族の戸田与左衛門が城代となり、板島丸串城を改修しました。
しかし、戸田氏の圧政により、すぐに大一揆が起こり、黒瀬城や板島丸串城は一揆衆の攻撃で落城したようです。
朝鮮出兵にて戸田勝隆が病死し、跡取りがいなかったため改易されると、1595年、藤堂高虎が宇和郡7万石にて入りました。
1596年から、藤堂高虎は板島丸串城の大改修を開始。

宇和島城

1601年に完成すると「宇和島城」改名しました。
しかし、藤堂高虎は関ヶ原の戦い大谷吉継を撃破した戦功により、今治20万石となり、伊予・宇和島城の完成を見ると移っています。

宇和島城

1608年、宇和島城には富田信高(富田信濃守信高)が10万2000石にて入城し、海運工事や掘削事業などを手掛けました。
しかし、1613年、大久保長安事件に連座したようで改易され、約1年間は幕府直轄地となり、藤堂高虎が代官を命ぜられると、従兄弟の藤堂良勝が城代となっています。

このような経緯を経て、1614年、伊達政宗の庶長男・伊達秀宗が10万石で入封しました。

さて、今回、宇和島城を訪問するに当たり、麓にも見どころがあるようでしたので、レンタカーを駐車場に止めたら搦め手側から登って天守に行き、帰りは三の丸方面に戻って麓を歩いて駐車場に戻るコースにしてみました。

宇和島城の見学コース案内図

一般的な駐車場は下記の地図ポイント地点の場所です。
地図の縮尺を変えて、よくご確認願います。

上記の駐車場がある場所が、かつての三の丸となります。
トイレも併設されており、車を止めた目の前に下記の桑折長屋門があって、天守へ繋がる登城道があります。
ちなみにこの門は、家老の桑折(こおり)家にあった長屋門が、この場所に移築されております。

宇和島城の桑折長屋門

ただ、この桑折長屋門から登ると、階段の連続なので、いきなり登らずに、まずは宇和島城の周りの宿毛街道(国道52号)を歩いて南へと向かいました。
駐車場は国道52号沿いにある他の駐車場でも60分100円が多いので、私のように半周する場合には、この駐車場に拘る事はありませんので、念の為記載しておきます。

途中、下記の丸之内和霊神社(まるのうちわれいじんじゃ)に立ち寄り参拝致しました。

丸之内和霊神社

伊達政宗の家臣で、宇和島藩が設立された際に、付けられた家老・山家公頼(やんべ-きんより)1000石が、丸之内和霊神社の祭神となっています。
山家公頼(山家清兵衛公頼)は、租税軽減や産業振興にて活躍しましたが、その政治手腕に嫉妬した藩主・伊達秀宗は、桜田元親に命じて、襲撃されると子供なども一族皆殺しにしたと言います。
次男と三男は斬殺され、奥女中と別室に寝て9歳の四男・美濃は井戸に投げ込まれました。
一説には、襲撃を受けたと知った女中が、隣の家に美濃を投げ込んだものの、後難を恐れた隣人が投げ返した時に、井戸に落ちて落命したとあります。
本殿の左手から奥に進んだ裏にある古井戸は、美濃の死にまつわるとして、井戸に祠があります。下記です。

丸之内和霊神社の井戸

下記の宇和島城の上り立ち門まで麓の国道を歩いて、ここから宇和島城に登って行きました。

宇和島城の上り立ち門

なんだか南国風の木々が生えている登り口です。

宇和島城の登り口

なぜ、搦手(南側)から登ったのかと申しますと、こちらからの方が坂が緩やかな感じがしたからでございます。

宇和島城の登山道

宇和島城の代右衛門丸の石垣脇を進んで行きます。

宇和島城

下記の道の上が長門丸付近となります。

宇和島城の登城道

宇和島城の一番スゴイところは、その「縄張り(設計)」です。
地上から宇和島城を眺めますと、四角い堀で囲まれている(実際には西側は海だった)ように見えますが、空から見ると実は5角形なのです。

宇和島城の縄張り図

どういう事かと申しますと、海以外の地上の3方向を包囲されてた場合に、船で海から逃げようとする際に、四角形だと必ず左右の敵に発見されてしまいます。
しかし、五角形だと左右両方には発見されず、1方向の適にしか逃げた所が見えないので、逃走成功率も上がる訳です。
逃げなくても、籠城時の物資搬入口ともなる「からくり」なのです。
現に、徳川幕府の放った隠密は、江戸に送った密書(讃岐伊予土佐阿波探索書)にて「宇和島城は四方の間、合わせて十四町」と、四角形と見誤っています。

宇和島城の長門丸

藤堂高虎は、今治城の築城手腕なども認められて、徳川幕府が江戸城を改築した際にも、功を挙げている築城の名手です。
外様大名でありながら徳川家康からは譜代大名格(別格譜代)として扱われて、津藩22万石となりました。

宇和島城の藤兵衛丸の石垣

上記は藤兵衛丸の石垣脇を通って行くところです。

1648年から築城された赤穂城も海の突き出た城として不等辺五角形ですし、幕末期に築かれた最後の大きな築城と言える、函館の五稜郭も「五角形」が原型ですので、当時の藤堂高虎の築城術がいかに優れていたのか、良く分かります。

宇和島城の藤兵衛丸

上記は宇和島城の藤兵衛丸の入口です。
藤兵衛丸には現在、城山郷土館があります。
ここからは、また山道な感じになります。

宇和島城

途中、崖下に大きな井戸が見えました。
下山するときに寄ります。

宇和島城の井戸

ここら辺からは、宇和島城の技巧が非常に良く出ている昔ながらの階段を登って行きます。

宇和島城

S字カーブのように登って行けないと、本丸部分に到達できません。

宇和島城

下記は宇和島城の帯曲輪の一部ですが、帯曲輪は立入禁止になっていました。

宇和島城の帯曲輪

いよいよ本丸部分へ入る搦形門(一の門)跡に到着しました。
ここも、何かとてつもない威厳を感じる入口です。

宇和島城の搦形門(一の門)跡

と言う事で、ようやく本丸に到達致しました。

宇和島城の本丸

下記は台所の建物があった跡です。

宇和島城の台所跡

宇和島城の3重3階の独立式層塔型「天守」は、藤堂高虎が建てて老朽化していたものを、宇和島藩2代藩主・伊達宗利が、1666年に再建しました。

宇和島城の天守

規模は比較的小さいですが現存天守であり、現存12城のひとつで、宇和島城天守閣は国の重要文化財となっています。

伊達家の甲冑

伊予・宇和島藩の初代藩主は、伊達政宗の長男である伊達秀宗(だて-ひでむね)です。
ただし、母は伊達政宗の側室・新造の方とされ、庶長子であったため、仙台の伊達本家は、愛姫が産んだ虎菊丸(伊達忠宗)が継ぐ事となり、仙台藩の家督は継げませんでした。

宇和島城

そのため、伊達政宗は、1615年の大坂の陣の功績にて加増された宇和島10万石を、別家として伊達秀宗に与えたのです。

宇和島城の内部

ちなみに、伊達秀宗の正室は、井伊直政の娘・亀姫(徳興院)ですが、これは徳川家康の仲介を受けて、1609年に結婚していました。

宇和島城の天守最上階

天守の最上階には「床の間」がありました。
1860年と、昭和35年(1960年)に大修理が行われています。

宇和島城からの展望

宇和島城からの展望

宇和島城からの展望

ちなみに、伊達宗利の娘・豊姫(とよひめ)は、信濃・松代藩の第3代藩主・真田幸道(さなだ-ゆきみち)の正室として、1673年7月26日に嫁いでいます。

宇和島城

下山は、途中から別ルートにて降りました。

宇和島城の井戸屋形・井戸

上記はその道沿いにある井戸屋形・井戸です。

宇和島城

宇和島城を訪問される場合には、登り口から天守までは、結構きつい石段を登ること約20分となります。

宇和島城

夏場には、熱中症対策が必要だと思われます。
平山城ですのでね。

宇和島城

現在は埋立地がありますので、海に面していませんが、かつては海がすぐ隣の「海城」の宇和島城でした。

宇和島城

その為、標高76mである宇和島城の比高は76mと言え、堅城だったことでしょう。

以上、宇和島城の訪問記、最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

最後に、昔の写真展示がありましたので、おまけとして掲載させて頂きます。

宇和島城

宇和島城

宇和島とは直接関係がないかも知れませんが、東京の江戸東京たてもの園には、宇和島・伊達家の屋敷にあった「伊達家門」が移築されています。

伊達家の門

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攻略難易度
初心者向け
旧国名
伊予
著者コメント
山城ですので階段は多いですが初心者でも楽しめます。




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